「たった一人の熱狂」見城徹著より。![]()
しばしば知らないことは強い、と言われることがある。もし、知っているならそんな無謀なことはできないと決め込んでしまうことがほとんどだろう。
無知だからこそ、とんでもない発想が生まれることもあるようだ。ここでのタイトルは「無知を武器にしろ」だった。20代の若いころ、氏はつかこうへいに熱狂していたそうだ。
つかが、まだ無名のころ「これから15年間、原稿は角川書店だけにして、ウチでしか本を出さない契約を結んでほしい。そのかわり、僕はあなたを一流の作家にします。直木賞も取ってもらいます」と熱弁したという。
そして、つかこうへいは契約書にハンコを押してくれたそうだ。これは出版界ではありえないことだった。お互いに退路を断って闘いに臨んだのだ。
その結果、どちらも成功できたのだ。これは無知、無茶、無謀から始まったものだった。当然、自信がなければ、そんなことはできないだろう。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。![]()
こんな才能もあるのかと気づいた次第。筆者は、若い人に対して、「自己検証、自己嫌悪、自己否定の3つがない人間には進歩がない」と言っているそうだ。
まずは、自分思考や行動を客観的に検証し、修正していくことから、始めるといいのかもしれない。それが一番易しいという。
また、見城氏の一番のセールスポイントは何かと問われれば、「自己嫌悪」と答えるという。その答えには実に意外性がある。
またそう言えるのは、それを実行してきたからだろう。成長するためには必要なことなのだろう。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。![]()
「身体がだらしなくたるんでいる状態では仕事という戦場で闘えないから、僕は今日も身体を鍛える」と見城氏はいう。
汗を流せば、きっと爽快になるだろう。1週間のうち最低でも3~4回、できれば週に5回はジムにでかけるようにしているという。超多忙なのにすごいことだ。
ジムでは60代半ばの体をいじめ抜くという。トレーニングは苦しくて辛いのは当たり前だった。そんな時「ノー・ペイン、ノー・ゲイン」と独り呟くそうだ。つまり「痛みのないところに前進はない」という意味だった。
トレーニングにごまかしはきかない。優秀な経営者は、例外なく皆トレーニングを日課にしているようだ。生まれ変わった肉体と精神で再び仕事に飛び出していくためだった。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。![]()
実に力強い言葉だ。圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題だという。自分に厳しくなければそれはできないことだった。
「もうダメだ」からが本当の努力だという。こういえるのは、見城氏がそうやって多くの成功体験をしてきたからこそ言える言葉なのだろう。
松本清張さんとは、仕事をすることはなかったが、もし原稿を頼むなら、膨大な著書のすべてを読み切ってから出かけただろうと述べている。
それは、どの作品の話題になっても会話ができるように、十分に準備をしてから出かけるのは当然だと思っていたからだ。
膨大な作品はひと月かかっても読みきれないだろう。だからこそ「もうダメだ」からが本当の努力だというのだ。短い言葉だが、強い心構えを感じる。
「たった一人の熱狂」見城徹著より。![]()
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圧倒的という言葉は、この筆者の口癖のようにあちこちに出てくる。それだけ自身が努力を重ねて結果を出してきたという自負があるからだろう。
ここでのタイトルには「結果がでない努力には意味はない」とあった。だから、努力することに意味があるというのは、単なる人生論に過ぎないらしい。「成功」という結果がでて初めて意味が出てくるというわけだった。
そこで、圧倒的努力とは何かについて述べていた。それは人が寝ている時に、寝ないで働く。人が休んでいる時に休まずに動く。膨大な仕事に手をつけてやり切る。人が不可能だと諦める仕事を選んでねじ伏せる。人が諦めてもじぶんだけは諦めないということだった。
その体験の一例があった。若いころ五木寛之さんと仕事をしたくて、25通もの手紙を書き続けたという。もちろん通り一遍の感想ではなかった。
石原慎太郎さんに初めて会いに行ったときは、50本のバラの花束を持って行った。それだけでなく、「太陽の季節」と「処刑の部屋」を目の前で全文暗誦しようとしたのだ。すると石原さんは「わかった。もういい。お前とは仕事をするよ」と言ってくれたそうだ。
きっとこんなことは誰もしないだろうし、できないだろう。それが圧倒的努力というものだろう。凄まじいと思える。これが仕事に熱狂するということなのだろう。
「PHP11月増刊号 特別保存版」より。![]()
これはは「美しい女性は、どこにいる」というタイトルで井上章一さんが書いているエッセイのなかにあったことばだった。
まず京女は「きょうおんな」ではなく、京都女子大学で、同女は同志社女子大学だった。かつて井上さんは、ある時京女に籍をおいている学生から「井上さんは、私たちが3Bと呼ばれていることをご存知ですか」と聞かれたという。
その女子は鉛筆の硬さではなく、不細工、貧乏、仏教だという。それが自分たちに対する世間の評判と述べたという。
また同志社女子大の方は、3Kで、綺麗、金持ち、キリスト教らしい。そんなレッテルで遊んでいるのだろうか。
ところが全国規模ではモデルの数は限られていた。2005年の最大の数を誇ったのは青山学院大学で795人、二位は立教の495人だった。いくら同女が12人といっても、とても東京の大学には及ばないのだった。
関西でも100人、200人規模のモデルを出しているところもあるようだ。実に面白い統計数字があるものだ。
「PHP11月増刊号 特別保存版」より。![]()
これは絵本作家の五味太郎さんの言葉だった。確かにそういえそうだ。自分に向いていることをやっていれば、頑張るなんている発想はでてこないと思っているようだ。
好きなことなら、没頭して時間の過ぎるのを忘れてしまうものだ。もし、仕事に得意なことを活かせればラッキーだともいえる。
筆者はまた「普通」ということに違和感を感じているという。何が「普通」かなんてはっきり分からないことも多い。また何かにチャレンジするのが好きな人もそうでない人もいる。人それぞれでいいのだ。人には得手不得手があるのが当たり前なことだ。それを一律で評価するのは難しい。普通は勝手に誰かが決めた幻想みたいなものだと五味さんはいう。
話を戻せば、好きなこと、得意なことなら自主的に創意工夫もできる。するとなおさらその仕事も面白くなるものだ。その時はその仕事が向いているともいえそうだ。
楽しむことは、心から好きなことを思いっきりやる。ただそれだけのことらしい。実にシンプルな考え方だ。頑張る必要もないし。
「PHP11月増刊号 特別保存版」より。![]()
こう語っているのは、漫画家、エッセイストの柴門ふみさんだった。そして、人間は何に一番幸せを感じるかについて、4つのタイプがあると書かれていた。
1、 所有することに幸せを感じる人。これは王様タイプだという。2、相手を攻撃してやっつけることに喜びを感じる軍人タイプ。3、学者タイプでとにかく知的好奇心が旺盛で何でも知りたい。4、物づくりに幸福を感じるタイプ。
たいていはどれかがミックスされているようだ。少なくとも自分は2ではないと思えるな。どの割合が多いかでその人の幸せ感は異なるのだろう。
また親子、兄弟でもまったく異なることも多いものだ。十人十色だろう。ポイントはやりたいことをやってみることがスタートらしい。不満を持っていても始まらないだろう。
柴門さんは、不満をタラタラ言っているよりも、むしろ我儘に自分の幸せを探すべきだという。やれるときに何でもやるのが一番だった。タイミングは大事にしたいものだ。
「PHP11月増刊号 特別保存版」より。![]()
まるで、何かの宣伝コピーのようなフレーズだ。こう語っているのは、ミュージシャンの谷村新司さんだった。
氏は会社員生活をしたことはないだろうが、次のように語っていた。「毎日会社に行かなくちゃならない。仕事をしなくちゃならない。しなくちゃいけないことばかりに囲まれて、それが人として幸福になるのでしょうか」と。
誰も自分の好きなように生きたいと思うものの、そうたやすくはない。しかし、氏はミュージシャンもサラリーマンも本当は同じだという。ただ、自分のやりたいことを行動に移すかどうからしい。やりたいこととはいっても、そうそう楽ではなく、むしろ苦労を伴うものだ。
氏はやりたいことを仕事にすべきだという考え方だった。そこで、上記のフレーズになったのだろう。
「PHP11月増刊号 特別保存版」より。![]()
自分の好きなこと、やりたいことはあえて口にしなくても、自分の中にあるらしい。またすでにそれをしている場合もあるだろう。
自分は本当はこうしたい、というものを持っているはずだという。それは意外に子供の頃の夢だったりする。それには意味などなくても良かったのだ。好きだからという理由でやればよかったのだ。
好きなことをやっている人に対して、それって何か意味があるの?と聞くことはナンセンスなのだろう。たとえば、ノーベル賞は研究としては素晴らしいが、基本的には役に立たないこともたくさんあるらしい。
だから、なんとなくやりたいことをなんとなく始めるので良かったのだ。人生を楽しむってそういうことなんだな。
最後のほうに「好きなことって、何の役にも立たないことが多い」ともあったが、なるほどと思えた次第。