恋のさや当て・・・The Who | 洋楽と脳の不思議ワールド

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マイナーな60年代ビートミュージック。駄洒落小話。写真と読書感想がメインのブログです。

山鳩とアオジ。

 

 

 

 

 

国枝史郎は早稲田の学生時代、演劇に夢中になったので、文学的出発点も戯曲だった。

彼の作品の随所にその痕跡は見られるが、昭和2年に菊池寛の「文芸春秋」に連載した「暁の鐘は西北より」で遺憾なくその才能を示している。

この作品も構成なんてものには目も向けずに、興が乗るままに筆を運んでいて、ついには収拾が付かなくなって投げ出しているが、随所にこの作家ならではの奇想が顔を出しているので、国枝史郎らしいと言えば国枝史郎らしい作品だろう。

例えば「人体建築」。

浅間山の懐近くに建つ、この奇怪な建物の「心臓の間」は恐怖として語られる。

身体健全な若者がこの「心臓の間」に召されると、精神に異常をきたしてついには幽鬼になり果てて朽ちるというのだ。

昭和2年という検閲のある時代なので、はっきりとは書けないが、この屋敷の女主人がサディストで、彼女の愛欲によってマゾヒズムの悦楽を知った若者は死ぬまで溺れる、という設定になっている。

サディズムとマゾヒズムの出会いが死ぬまでの愛欲に溺れるとは、現代人には陳腐だが、この時代には説得力があったのだろう。

ついでに言うと、若者が召されたと聴くや、主人は一晩中「心臓の間」の扉の前で耳をそばだてて興奮している。

変態性欲はこの時代の探偵小説の常套手段で、江戸川乱歩がよくものしていた。

国枝史郎は江戸川乱歩とともに6名の同人で「耽奇社」を興している。

 

話が横道にそれたので、本題の「台詞」を書き写そう。

 

「妾(わたし)はシレーネよ、貴方(あなた)は水夫(かこ)ね。」

「が、幸福でございます。」

「すぐに不幸になりましょう。」

「幸か不幸か? これからが勝負で。」

「溺れてお了(しま)いなさいまし。」

「溺れて居るのでございますよ。」

「もっともっと! 深く深く!」

「海藻が手足を巻いています。」

「もっともっと! 深く深く!」

「なんのわたしは浮び上がる。」

「手伝いましょう。さあお手を。」

「お手を貸そうと有仰(おっしゃ)るので。」

「突き落とした手でございます。今度は引き上げて上げましょう。」

「更に一突き、もう一突き、いっそお突き落としなさるがよい。」

「踠(もが)いているのね。可哀そうに。」

「・・・・・」

「怖くばお逃げなさりませ。」

「反対でござる。逃げたら追う。」

「嫌いでございますよ。そんな男は。」

「初めてでござる。こんな感情は。」

「慣用語ね。あらゆる男の。」

「お愛しくだされ。お愛しくだされ。」

 

恋する若い男女の台詞だが、陶酔しませんか?

唐十郎がこんなテンポの台詞を書いていたような気もするが、舞台で演られたらうっとりするだろうな。

 

 

 

 

 

さてさて、60年代後半にロック・レヴォリューションが起きると(現在クラシックロックと言われているやつ)、60年代初めに英国で生まれてビートルズが世界を席巻したビート・ミュージックは、古臭くてダサイ音楽として顧みられなくなった。

ノスタルジー音楽として、70年代まではオリジナル音源を持っていた大手のレコード会社からベスト盤がリリースされることもあったが、産業ロックが隆盛を誇った80年代は壊滅状態で、メジャーバンドでさえ、写真のようなひどい衣装で、申し訳程度に現れる始末だった。

その一方で、主流の音楽マスコミとは別個のところで、Rhino や Edsel, Eva などといったインディペンデントのリイシュウレーベルがノスタルジーではなく、再評価の対象としてビートミュージックの発掘に力を注ぎ、マニアに喝采をもって迎えられた。

 

 

ビートバンドからニューロックバンドに変身して絶大な人気を誇っていた Who でさえ、ビートバンド時代の音を Polydor がリリースした83年のアルバムはこんなジャケだ。

まだ現役だったキンクスなんて、 Pye の仕打ちはあまりにもひどすぎる。

同じく現役のホリーズ、EMI のジャケは酷くはないが、なんで~? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

60年代モッズに大人気だった Who の Doctor, Doctor を聴きましょう。

Pictures of Lily のB面曲なので、あんまり知られていないと思うからだ。

とてもいい曲で、ボクはA面曲よりもこっちの方が好きだ。