ヤフーからアメーバへ引っ越したのが昨年の6月で、その折書いた漱石作品の紹介を採録する。
まだ、知人とてなく、ほとんど人目に触れていないと思うからだ。
大正6年(1917年)から大正8年(1919年)にかけて岩波書店から刊行された漱石全集。
本文13巻+別巻1冊からなる14巻本。
天金と言うのが時代を感じていいね。
旧字旧仮名が好きなので、この全集を買い求めたが、解説というものがないし、昭和10年版の全集が以後の底本とされているので、新しい版で読むことをお勧めする。
第2巻には、「倫敦(ロンドン)塔」「カーライル博物館」といったエッセイのほかに、英国留学時代の土産とも言える「幻影(まぼろし)の盾」「薤露行(かいろこう)」の創作2編が収録されている。
英国を舞台にした2作品ともあまり知られていないと思うので、採り上げよう。
先ずは歴史幻想小説「幻影(まぼろし)の盾」だ。
ウォルター・スコットの「ランマームーアの花嫁」に触発されて創作したものだという。
ボクはウォルター・スコットを読んでないので、受け売りだが。
隣り合った国、白城の騎士ウィリアムと夜鴉城の姫君クララは恋仲だ。
突然両国の国王が不和になり、戦争で決着をつけることになる。
ウィリアムは騎士の矜持として戦をしないわけにはいかないが、恋人の城に討ち入る訳だから苦悩する。
見かねた友人が一計を案じ、クララ姫を助け出して船に乗せるという。
そして2人で南の国へ逃げろというのだ。
姫が乗っていたら赤旗を、乗っていなければ白旗を掲げる合図を取り決める。
トリスタンとイゾルデみたいな話だ。
落城寸前、海に漕ぎ出してきた船には白旗が翻っている。
絶望したウィリアムの目には、燃え落ちる城の中にクララが見える。
焼け出された馬がウィリアムの元に駆けて来、彼がその馬にうちまたがると、「南の国へ行け」という何者かの声がして馬の尻をしたたかに打つ。
「「呪われた』」とウイリアムは馬と共に空を行く・・・・只(ただ)呪ひ其の物の吼(たけ)り狂うて行かんと欲する所に行く姿と思へ」
騎(の)り潰した馬の鞍に腰をおろしたウィリアムは、林の中にいる。
林の中の池そばの岩の上には不思議な女がいて、楽器を手にして歌っている。
「岩の上なる我(われ)がまことか、水の下なる影がまことか」
「恋に口惜(くや)しき命の占(うら)を、盾に問へかし、まぼろしの盾」
ウィリアムは不思議な盾を持っている。
4代前の先祖が北の巨人と戦った際、彼を斃して手に入れたもだ。
盾の面にはメデューサのような浮き彫りがある。
斃された巨人が先祖に語ったことによると、・・ここ名調子なので原文を引用する。
「火に溶けぬ黒鉄(くろがね)を、氷の如き白炎に鋳(い)たるが幻影(まぼろし)の楯なり・・・百年の後、南方に赤衣(せきい)の美人有るべし。其(その)歌の此(この)楯の面(おもて)に触るるとき、汝の児孫楯を抱いて抃舞(べんぶ=喜びのあまり、手を打って踊るここと)するものあらんと・・」
汝の児孫とは我が事ではないかとウィリアムは疑ふ。
女は「懸命に盾の面を見給へ」と言う。
ウィリアムがひたすら凝視(みつめ)ていると、船が現れ、赤旗を掲げている。
クララだ~!
そこは南の国だ。
2人はひしと抱き合い、熱い抱擁を交わすのであった。
が、ここは盾の中の世界なのである。
「而(しか)してウィリアムは楯である」
こうした歴史幻想小説に漱石が手を染めていたというのはとても面白い。
盾について少し込み入った話を書くつもりでいたが、ブログで踏み込んでもしようがないと思い直したので、いつも通り、作品の紹介で終わる。
無造作に「天金」なんて言葉を使ったが、今の時代、知らない人のほうが多いと思うので少し説明すると、これは造本用語で、書物の天小口に金箔やイミテーションゴールドで豪華な感じを出すためのものだ。
昔は大型企画の全集本などでよく使われていたが、もう見かけない。
上の写真が天金。下の写真が普通の白地の地(本の下部を言う)。
写真では綺麗に写らなかったので、古本屋を覗いたとき、実見してくれ。
さてさて、漱石の「薤露行」(かいろこう)だ。
創作、とは言っても、全くの創作と言うわけではない。
アーサー王伝説を、漱石が書き直したものだ。
その理由は漱石本人が作品冒頭で述べている。
トマス・マロリーのアーサー王物語にはいろいろと不満があって、特に騎士ランスロットは「車夫の如く」、王妃ギネヴィアは「車夫の情婦の様な感じがある」ので書き直す。
テニソンの歌うアーサー王物語は「優麗典雅にして古今の雄編」だけれども、読み返すと、引きづられて自分の作品にならないので、今は自分の小説として形にしたい、と。
アーサー王物語には4つの骨格があるが、漱石が草したのは、ランスロットとギネヴィアの不倫に焦点を当てた話だ。
この話と漱石が記憶するテニソンの詩が混ざり合って、独特の物語世界が展開する。
冒頭、アーサー王はじめ円卓の騎士全員が北方で開かれる武術試合に出席するなか、ランスロットだけは仮病を使って居留守する。
が、不倫の発覚を恐れるギネヴィアの言に従って、彼も出かけることになる。(ここはマロリー)。
(以下はテニソンによる)
呪いにより、鏡の中でしか外界を見ることを許されないシャロットは、孤(ひと)り、機(はた)を織って暮らしている。
その鏡の中に疾駆するランスロットが映る。
「シャロットの女の窓より眼を放つときはシャロットの女に呪ひのかかるときである」
にもかかわらず、思わず知らずシャロットは近寄り遠去かるランスロットを窓辺から見つめてしまう。
眼に恋の炎(ほむら)を燃やして、
たちまち鏡は粉々に砕けてシャロットも息絶える。
「『シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪ひを負うて北の方へ走れ』と女は両手を高く天に挙げて、朽(く)ちたる木の野分を受けたるが如く、五色の糸と氷を欺く砕片の乱るるなかにどうと仆(たお)れる」
シャロットはここにしか登場しないので、事情を知らない現代の読者には訳が分からなくなる。
が、次の編から登場する可憐なる乙女エレーンは、このシャロットの合わせ鏡なのだ。
読者はエレーンにシャロットを重ねてよいのだ。
テニソンもどうやら重ねているらしい。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849-1917)「シャロットの女」
途中、ランスロットが宿を借りた古武士の娘エレーンは、ランスロットに一目惚れする。
そして試合では私の印のこの赤い片袖を兜に巻いて闘って欲しいと懇願する。
試合で傷を負ったランスロットは、乙女の元へは帰らず、十日後にアーサー王の元に帰る(つまりギネヴィアを選んだということ)。
城ではギネヴィアが、遅れてきたランスロットの持つ赤い片袖に女の匂いを嗅いで嫉妬する。
一方エレーンは、ランスロットが自分を選ばなかったことを嘆いて食を断ち、息を引き取る。
遺言に従って、彼女は美しく着飾られ、手にはランスロットへの想いを綴った文を持ち、小船に乗せられて川を下る。
「シャロットを過ぐる時、いづくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の寂寞(じゃくまく)を破って、動かぬ波の上に響く。『うつせみの世を、・・うつつに住めば・・』」
最後、ここで再びシャロットの名が見える。
読者は、ここでようやくシャロットとエレーンを重ね合わせることができる。
小船はアーサー王の城に流れ着く。
ギネヴィアは乙女の持ちたる手紙を読み、彼女の額に震える唇をつける。
「『美しき少女!』と(ギネヴィアは)云ふ。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる。
十三人の騎士は目と目を見合わせた。」
最後になるが、「薤露行」というタイトルの由来は、「人生は薤上(にらのうえ)の露の如く晞(かわ)き易し」という漢の無名の詩人による挽歌であるという。(最後の一文はぱくり・・笑)
ブリトン人の話なので一時期話題を呼んだウェールズの Gorky's Zygotic Mynci にしようと思ったが、ぴったりな曲が見つからない。
なので Kaplan - I like を。
同じUKということで勘弁してもらおう。
https://youtu.be/Ll5D1TtqlPw
Kaplan Kaye は多才な人で、役者としても成功している。
49年生まれと言うから、このとき19歳だ。
曲ももちろん自作。