こどもシャンプー | 台場一丁目商店街プロデューサー久保浩の    昭和ダイアリー

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レトロブームの仕掛け人久保浩が「昭和」の時代の古き良き、暖かな日本人の心を伝えてまいります。

銭湯で子供同士が自慢し合っていました


【こどもシャンプー】



昭和レトロ製作委員会        台場一丁目商店街自治会長     久保浩の平成と闘う日々

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 最近のようにスーパー銭湯や健康ランドが沢山できて、入浴が


レジャーや慰安になるとは、昔、誰も予想していなかったことです。


昭和40年代の銭湯は子どもの遊び場の1つでした。内風呂がある


家も少なく、近所の子と誘いあって夕方に銭湯に通いました。私が


小学3年生の昭和44年当時、小人料金は10円。シャンプーは使い


捨ての「タマゴシャンプー」の小瓶や「花王フェザーシャンプー」


5円で買ってました。フェザーシャンプーは粉がアルミ袋に入って


いて、最後まで振り出すために、袋のなかにお湯を入れて1粒残ら


ず使い切ったものです。カルピスの瓶に水をいれて最後の一滴まで


洗って飲んだように……。




 金持ちの子はシャンプーボトルがアニメキャラになっている「サンス


ターこどもシャンプー」を持ってきてました。お金がないときは石鹸


で頭を洗っていた私は、当然、そんな素晴らしいおもちゃシャンプー


を持っていませんでした。




 アニメや特撮のキャラクターを型どった容器に入ったものが、こども


シャンプーと呼ばれていましたけど、結構高価だったから買って貰え


ない子のほうがおおかった気がします。なにしろデラックス版だと、


昭和46年の時点でも400円もしました(普通品は180円)。しかし、あれ


は確かに40年代グッズの1つでしたね。同じものはダリヤ、美香園、


今は会社がなくなってしまったミツワ石鹸も出していたが、発売点数


ではサンスター(サンスター歯磨)がダントツだった記憶があります。




 サンスターがこどもシャンプーを最初に出したのは昭和40年でした。


お風呂ギライのこどもでも、喜んで頭を洗う習慣をつけさせようという


狙いでしょう。初期はレーシングカーや新幹線、ヘリコプターなど乗り


物が多かったですね、「マグマ大使」を皮切りにだんだんとテレビキャ


ラクターの版権モノが中心となってきました。その時代時代に人気の


あるキャラクターを採用してましたが、全盛期は昭和40年代から50年


代初期にかけてでしょうね。特撮・アニメのキャラクターが豊富な時代


とリンクしています。




 今の貨幣価値ですと1000円くらいしましたので、なかなか買ってもら


えるものではありませんでした。



「買ってもらえなきゃ、お風呂に行かない!」と駄々


をこねたものです。



                         






ご一読ありがとうございました!




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