和気氏が開き最澄、空海も居たというお寺 その1(神護寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(5月3日のこと)で、神護寺のことです
やっとこさ階段を上がった先に待ち構えているのが楼門
神護寺
住所・京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
御本尊・薬師如来(国宝)
札所・

西国薬師四十九霊場第44番

仏塔古寺十八尊第7番
神仏霊場巡拝の道第90番(京都第10番)

駐車場・なし
確か金堂で仏塔古寺十八尊 塔の寺めぐりの案内が置いてありました
画像は折り畳んだ状態です🙇

駒札(駒札を見たのは多宝塔でした)

  高雄山と号し、高野山真言宗の別格本山である。当寺の起源は、もと高雄山寺といい、天応元年(781) 愛宕五坊の一つとして建立されたといわれ、また和気清麿が河内国(大阪府) 建てた神願寺を天長元年(824)この地に移し、空海(弘法大師)が住持となって、神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)と改稱した。その後寺運は次第に衰え、寿永3年(1184)文覚上人の中興もあったが、応仁の乱で再び衰え、豊臣・徳川氏などによって漸次修営され、現在に至っている。

  大師堂(重要文化財)は桃山時代に再建されたもので納涼房といって、もと空海の住房であったと伝える。また鐘楼にかかる銅鐘(国宝)は貞観17年(875)の鋳造で橘広相(たちばなひろみ)の序詞・菅原是善(これよし)の撰銘・藤原敏行の書で古来三絶の鐘といい、著名である。金堂内の薬師如来立像・多宝塔内の五大虚空蔵菩薩坐像(いずれも国宝)のほか、多くの重要文化財を有する。

京都市
(原文のまま)
清麻呂の墓が高雄山に造られてからは和気氏の氏寺的性格を強め、空海が入寺する以前(延暦21年)には、清麻呂の子・広世最澄を招いて法華会を修したということです
(京都・山城寺院神社大事典参照)

今と大違い🤣
なので、今回は詳細な記事になります😁

江戸時代(寛永6年頃)
内部には密教法具の輪宝や五鈷杵(ごこしょ)の木彫が施してある
(古寺巡礼 京都 15 神護寺参照)

この日の目的はこちらでした
こちらは以前アップしています→宝物虫払い

この時、先に拝観料を納めてから、虫払いへ行ったのですが、それから境内へ入る時に再び提示を求められたので、境内見てから虫払いに行くか、虫払い見てから拝観料納めた方がちょっとしたことですが面倒ではないと思います😅

楼門くぐって振り返る

くぐったとこのアップ

確かに法具がありましたひらめき

楼門の手前・左側に受付があります
拝観料800円

由緒書きと頂けます

境内図

楼門くぐった時に見える景色

右手に書院に通じる門
常は閉じているようです

その先に和気公霊廟
昭和9年
神護寺は、和気清麻呂(733〜799)が宇佐八幡宮の神託を受けて延暦12(793)年頃までに建立した神願寺と、同18年に亡くなった清麻呂の墓所が築かれた高雄山寺の2寺を前身とする
(古寺巡礼京都15 神護寺参照)

正面から

横から

その横にある階段は鐘楼へと続きます

チラッと鐘楼の屋根が見えてます

鐘楼
元和年間
中には国宝の梵鐘
入母屋造り
柿葺
基礎には、五輪塔の火輪や地輪が転用されている
額は、寛永2(1625)年、曼殊院良恕法親王(りょうじょほっしんのう)の書

(古寺巡礼京都15 神護寺参照)


ちなみに、鐘楼へは金堂絡もう行くことが出来ます

横から

神護寺しばらく続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ