観音峠の由来となったお堂(観音堂) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(3月31日のこと)です

国道9号線を北上して行きます
観音峠に差し掛かると、トンネル手前にお堂があるということを知り、寄ってみました
トンネル手前(南丹側)に広いスペース(今は入れないように仕切られています)の僅かに止めれるとこに車を置いて、階段があるので降りて行きます
観音堂
住所・京都府南丹市園部町上木崎町
駐車場・なし
都合、この日から3回寄ってるので、画像は3回分のが混在してます🙇

5月に再訪した時の様子

この頃(1回目)はまだ椿が咲いてました😊

近づいてみると、立ってたのはお墓でなく、石塔のようでした


裏面

なぜか前から撮ってません🤣


右側の石塔

照月先生碑と書いてあるらしいです


右側の石塔の横には階段


お堂

左斜めから

正面から

立派な彫刻が設えられていますあんぐり

狛犬

奥は龍

かなり大きく、中井一統のような感じのものでした🤔

5月に撮影

お堂前に手水舎

(5月撮影)

その横に石像

お堂の横に建物(休憩所?)があり、観音堂の解説があったようなのですが、最初見落としてました😣
ネットで観音堂のこと調べてたら、その解説が写してあるものがあったので再び(3回目)寄りました🤣

中に用紙が吊り下げてあり、そこに解説がありました
観音堂のこと
1、観音峠は観音堂が名の由来
 観音峠は、標高262メートル。西の春来峠(兵庫県)や蒲生峠(兵庫、鳥取県境)など、トンネル化されたいま、国道9号線最大の難所のひとつである。
そのうえ、京都府を南北に分ける分水嶺と言われ、ここから北の川は由良川水系として日本海へ、南は桂川水系として大阪湾へ注ぐ。それだけに、気候風土など、すべての境界になるのが、この峠なのだ。
最も古い文献は、貝原益軒の「西行紀行」で、いわく「三戸野峠(観音峠の旧称)は上下一里、その上に民家あり、その所を嶺という。俗にいう山椒太夫が関をすえし所なり」とある。今もひっそりと残っている当時の小道。幅2〜3メートル。これが江戸時代以降の山陰街道。かつては参勤交代の行列や旅の商人などでにぎわった。頂上付近に今も現存している小さな観音堂…。
旅人たちはここでつかれをいやし、道中の安全を祈った。観音峠の名はここからでている。

2、観音堂
  観音堂のあるところは、小字峠尻と呼ばれ、藩政時代は、上木崎村と下木崎村(市場、河原、高田)いわゆる、現在の上木崎町、河原町、木崎町の立会管理になっていました。大木の観音堂(河原町)にくらべ、廃道の御堂にもかかわらず、きれいに保存されています。
「寺社類集」によりますと、この観音堂は古くから歯痛によくきくと言います。このため歯痛観音ともよばれていました。また自然石を仏像の本体にあてていて、これを「湧出のため」とも記しており、そのため湧出観音とも言われていました。歯痛と根岩の湧出観音との組み合わせは、ユーモラスな信仰です。

3、観音堂建設の伝説
  むかし、観音峠を通る旅人や馬子が古いわらじを道に捨て、それが石にあたった。するとその旅人や馬子が腹痛で苦しんだ。そこで、村人がその石を掘り出してみると観音様の姿をうつした石が出、そこにお堂を建ててお祀りしたというのである。

 4. 観音堂の現在 
  昭和8年に観音トンネル工事が開始されて以来、国道の護岸を背にした御堂として、観音堂のあるスペースだけが、国道度下に忘れ去られている恰好だ。
瓦葺の御堂木鼻の細さも欄間の彫り物も立派で、その存在感は現代社会の忘却曲線を超越している。小さいながらも境内があって、「照月先生碑」だとか「護国明神」などと彫られた石碑がつつましく並んでいるのも興味をそそられる。表に山木を引いた手水鉢があり、電灯線が引かれたりしているところを見ても、地元の人たちの手で譲られていることがよくわかるというものだ。
「安全のためロウソクの火を」云々という注意書きから、上木崎の老人会の方々が手入れをしておられることを知った。 
 -Webホームページ「旧道倶楽部活動報告書」の中から抜粋-

5. あとがき 
  観音堂の修復工事の期を得て、観音堂の事を知りたい気持ちが大変強くなり、南丹市の本を読みあさり色々な文献から抜粋し、A4版のサイズに押込めました。参考文献としては、「園部の歴史」「広報そのべ」等5冊、およびWebホームページ「旧倶楽部活動報告書」の中から、表現を抜粋し一字一句を忠実に記しました。
  観音堂の修復工事竣工の記念と、観音堂の美化保存にご尽力を頂いている上木崎町区の老友クラブの諸先輩の方々に、心から感謝し敬老会の日に、発刊いたします。 
 2012年9月17日   上木崎区  区長 内藤信定  副区長 上田三雄 会計 森口英樹
(原文のまま)
解説にあるように、こちらのお堂があるため観音峠となったようです指差し

その建物の横に道があります


どうもこれは旧道の跡
ここから3枚は5月撮影

反対側

よく見ると階段とも繋がってましたひらめき


2回目に訪れたのは4月13日
この日も市内からの帰りに、桜が咲いてたので気になって寄ってみました😂

階段から

法面に咲いてます

椿とお堂

境内には桜は無く、法面だけでした😅

階段側

これは5月(3回目)に訪れた時
お堂の前(手水舎の左側)にツツジが咲いてましたニコニコ

思わん3度も訪れることになりましたが、その時期に咲いてる花も見ることが出来ました😁
この日のことは、これでお仕舞いです
次回も市内へ桜めぐりしたことになりますが、一旦地元で見た桜を挟むかもしれません⁉🤔
連休中に下書きが書き貯めれなかったんで🤣
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ