祇園に佇む巨大寺院 その2(建仁寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(10月21日のこと)です
正月から大きな地震があり、被災された方にはお見舞い申し上げます🙇
早く地震が収まり、復旧が少しでも早く進むことを祈ります

そんな状況ではありますが、ブログは相変わらず平常運転で失礼します🙇
昨日、ブロ友さんに言われて、今年は辰年だからまさに天井画がそれだった!びっくり
と気付かされましたので、トップに貼ってみました
(^^ゞ

方丈から法堂へ渡り廊下で移動します
法堂・外観

天井を見上げると、10年ほど前人生で初めて見た天井画
初めて見た時は、その大きさと綺麗さに凄く感動しましたラブ
その後、幾つかの天井画を見る機会があり、昔の画家のタッチの良さも知ることが出来ました♪照れ

今でも天井画撮れるとこは少ないと思います😅
下に写っているのは、御本尊の釈迦如来座像

なので撮れるのは貴重だし、ついついその見事さに何枚も撮ってしまいます(^^ゞ


法堂の解説
法堂(はっとう)
  明和2年(1765)の建立にて瓦葺重檐、梁行十間四尺五寸、 桁行十二間半の堂々たるものである。
  この法堂は仏殿を兼用し「拈華堂(ねんげどう)」という。拈華というのは 『無門間」第六則、「世尊拈華(せそんねんげ)」にもとづく。
  お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)での説法において、多くの大衆に向かって金波羅華(こんぱらげ)という花を高くかざして示された。この時大衆はその意味がわからず、皆黙っていた。その中で迦葉(かしょう)尊者だけがお釈 迦様の真意を悟りにっこりと微笑んだという。これは真の仏法は文字や言葉に頼ることなく、「以心伝心」、心から心へと伝わり、継承されていくという教えを表したものである。
  土間には転瓦(せんが)が敷きつめられ、広い天井のもと正面に高く須弥壇が築かれ、本尊釈迦如来座像と脇侍に迦葉・阿難尊者立像を安置している。 
  西側の祖師堂には、開山の栄西禅師の塑像を中心に建仁寺に因縁の深い日中禅僧の位牌をまつっている。 
  東側の土地堂(つちどう)には、建仁寺の守護神である張大帝(ちょうだいてい)をまつる。この張大帝は、中国の盧山帰宗寺の守護神で、当山第十一世となる大覚禅師(蘭渓道隆)に三度も日本へ渡るようにすすめたという有名な因縁がある。
  また、天井には平成14年(2002)、建仁寺創建八百年を記念し、日本画家・小泉淳作氏の筆によって「双龍図」が描かれた。
(原文のまま)

天井画の解説
双龍図  小泉淳作筆
  この天井画「双龍図」は平成14年(2002)、建仁寺開創八百年を記念して、鎌倉在住の日本画家小泉淳作氏によって描かれたものである。大きさは縦11.4m、横15.7m(畳108枚分)あり、麻紙(まし)とよばれる丈夫な和紙に、中国明代で 最上の墨房といわれる「程君房(ていくんぼう)」の墨を使用して描かれている。 
  製作は北海道河西郡中札内村の廃校になった小学校の体育館を使って行われ、構想から約二年の歳月をかけて平成13年10月に完成。翌年4月14日、建仁寺山内の僧衆によって開眼法要が厳修された。
  龍は仏法を守護する存在として禅宗寺院の法堂の天井にしば しば描かれてきた。また「水を司る神」ともいわれ、僧に仏法の雨を降らせると共に、建物を火災から護るという意味がこめられている。
  しかし、建仁寺の八百年にわたる歴史の中で法堂の天井に龍が描かれた記録はなく、この双龍図は創建以来、初めての天井画となる。
  通常の雲龍図は大宇宙を表す円相の中に龍が一匹だけ描かれることが多いが、この双龍図は阿吽(あうん)の龍が天井一杯に絡み合う躍動的な構図が用いられている。そして二匹の龍が共に協力して仏法を守る姿が小泉画伯の重厚かつ独特の水墨世界観で表現 されているといえる。
(原文のまま)

本坊出るとこにある韋駄天像

久しぶりなので、境内の散策
鐘楼

茶碑
平成の茶苑
  ご開山 茶祖栄西禅師は宋の国(中国)から我国にお茶の種子を持ち帰られました。
  「茶碑」後方の茶園は、「茶」將本八〇〇年(平成3年) を記念して植樹栽培した平成の覆い下茶園です。 
  毎年5月10日頃、初摘みした茶葉を石臼で挽いた抹茶を御開山毎歳忌(6月5日)にお供えし、ご遺徳茶恩に感謝の誠を捧げます。
  建仁寺 栄西禅師茶碑顕彰会
(原文のまま)

正面から

三門(望闕楼・ぼうけつろう)
大正12年、静岡県浜名郡雄踏町山の安寧寺から移建
空門・無相門・無作門の三解脱門
「御所を望む楼閣」という意味で「望闕楼」と名付けられる
楼上には釈迦如来、迦葉・阿難り両尊者と十六羅漢が祀られている
(由緒書きより)

開山堂楼門
前には扶桑佛心宗 第一開山 千光祖師榮西禅師入定塔

道元禅師 修行の遺蹟
道元禅師 修行の遺蹟
  日本の曹洞宗高祖道元禅師(1200〜1253)は、建保元年(1213)4月比叡山で出家し、やがて建仁寺御開山栄西禅師(1141〜1215)の高弟 明全和尚(1184〜1225)に建保五年(1217)8月師事し前後9年、その間、栄西禅師の遺風に浴し、師資相承の一偈を伝授され、自応2年(1223)2月、 和尚に随侍して入宋すること五年,慶元府、景徳寺の天童如浄禅師(1163〜1228。ほかに異説あり)に就いて参学の大事を究尽し、かの地で客元した明全和尚の舎利を奉持して、安貞元年(1227) 7月ごろ帰国し、再び建仁寺に入り、 報恩の至誠を捧げ、寛喜3年(1231) 山城深草に移居した。
  平成10年10月吉日
駒沢女子大学学長  文学博士  東 隆真
(原文のまま)

浴室

三門・正面から

左側の通路を上がって行きます

今度は三門を裏側から

動画も撮ってみました


西門から出て次へ向かいます

西門のとこにある寺号標

この辺りのこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ