前回からの続き(2月23日のこと)です
御荼毘所を後にして、東へ向かうと、左手に大きなお墓があります
肉弾三勇士之墓
住所・京都市東山区五条橋東6丁目515
駐車場・なし
肉弾三勇士とは?
1932年2月22日、上海事変下の上海廟行鎮の戦闘で工兵隊一等兵の江下武二・北川丞・作江伊之助の3名が鉄条網破壊のため爆薬を装填した破壊筒を抱いて突入、生還に失敗し爆死しました
しかし、陸軍はこの事故を覚悟の自爆であるとし、3名を軍神として顕彰しました
新聞も「悲壮忠烈の極み」などと軍事美談としてキャンペーンしました
(コトバンク参照)
なんだか大東亜戦争のときも、このような戦意高揚するための似たようなことがあったように思います🤔
その先へ進むと左手にお寺があります
通妙寺
平安時代以来の墓所として、北の「蓮台野(れんだいの)」、西の「化野(あたしの)」と共に京都の三大墳墓地を成しており、鳥辺野の北部はもっぱら庶民の墓が多く、南部は皇族や貴族の墳墓地が多いのが特徴になっている。
藤原道長をはじめ、藤原一族の火葬の地でもあり、源氏物語では光源氏の母 桐壺が葬送されたという設定である。生田流筝曲(そうきょく)の始祖 生田検校(いくたけんこう・1656〜1715)の墓地もこの地域にあり、豊臣秀吉の墓も阿弥陀ヶ峰の中腹にある。徒然草にある「化野の露消ゆることなく、鳥辺野の畑立ちさらてのみ」の一節は有名。
京都市
(原文のまま)
この辺りは前を通っただけとなったので、また行くことがあれば寄ってみたいと思います😄
この日のことが続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ