久しぶりの清水寺へ(中興堂)(春日社)(石仏群)周辺 | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(1月9日のこと)です

この日の目的は冬の旅の成就院だったので、清水寺を一通り散策出来たので、再び仁王門→随求堂へやって来て
随求堂の前を左へ降りました
そこにあるのは中興堂
こちらは中興開山・大西良慶和上のお霊屋(たまや)なんだそうです
良慶和上は、大正3(1914)年に奈良の興福寺住職と兼務され、晋山(しんざん・新たに住職として入寺されること)
以来、70年間に渡り清水寺貫主を勤められる
和上の13回忌を記念して平成9(1997)年に建立
(以降、京都・世界遺産手帳参照)

側面

その横には春日社(重文)
寛永6(1629)年の大火災でも焼失を免れる
大正10(1921)年、元あった鐘楼北側から現在地に移される

その先には石仏群がありますびっくり

中にはこんな可愛らしいものも( *´艸`)

これらの石仏はもともと京都市内の地蔵堂や大日堂に安置されていたものなんだそうです
明治の廃仏毀釈により、清水寺へと運び込まれたもので、約1000体の地蔵菩薩、千手観音、大日如来が安置されているということです照れ
確かに右側に千手観音さまがびっくり



石仏群を過ぎて、再び右手の階段を上がって行きます
北総門からも行けます
そこにある忠僕重助碑

その横には多くの石碑があります

前にある石碑には
勤王聖僧 月照信海両上人遺蹟
月照は幕末に成就院の住職を勤めた勤王僧
西郷と意気投合し、国事に奔走する
安政の大獄により、幕吏の手が伸びたことを知り、西郷を頼り薩摩へと向かう
しかし、逃げ切れず、月照と西郷は錦江湾に入水
西郷は助かるも、月照は死去となりました
信海は月照の弟

正面に見えるのは、右から
西郷碑
月照碑
信海碑のようです
月照と信海は句碑
西郷は漢詩が書いてあるということです
西郷碑
相約して淵に投ず 後先なし あに図らんや 波上再生の縁 頭を回らせば 十有余年は夢 空しく幽明を隔てて墓前に哭す
月照の17回忌に西郷が詠んだものだそうです

月照碑(辞世)
大君の為には何か惜しからん 薩摩の迫門(せこ)に身は沈むとも

信海碑(辞世)
西の海あずま(東)のそらとかわれども こころはおなじ君が代のため

どうもこれは月照を薩摩まで道案内した平野国臣による「西海波間記」詩碑のようです

贈従五位近藤正慎之碑

北総門(重文)
現在では清水寺の北総門となっていますが、元々は成就院の正門ということです

北総門から本堂側へ行くと、そこには
弁天堂




その横の道を降りると、再び石仏群の横を通り成就院があります

その前には池
で、残念なことに、この日はまだ拝観は始まっていませんでした無気力
ちゃんと確認してないから、こういうことになるという😖
皆さんはこういうことの無いように、特別公開の時は日程はよく確認してください😅

仕方ないので、次へ向かいます🤣
その道中にあるのは大講堂
こちらは清水寺開創1200年を記念して大西良慶和上の発願で昭和59(1984)年に創建

その横には塔頭の宝性院
非公開

清水寺を後にして、清水坂を下って行くと、道沿いの右手にこんなプチ庭園がありましたおねがい

こちらは東山庭 KIYONIZU HIGASHIYAMA GARDENという高級レストランの一画のようでした

長くなりましたが、最後までお付き合い頂いた方はありがとうございました🙇
これにて清水寺のことは終わります😌
いよいよ?次回からはその周辺の散策になります😆
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ