久しぶりの清水寺へ(子安塔)(泰産寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(1月9日のこと)です
到着しました子安塔(重文)
寛永10(1633)年、建立
高さ約15メートル
安産祈願に霊験あらたかな子安観音と呼ばれる十一面観音を安置
(以降京都・世界遺産手帳参照)

朱塗りの塔が青空に映えます👍

その近くにあるのが
泰産寺(たいさんじ)
清水寺塔頭
御本尊 観音菩薩
札所 洛陽三十三所観音巡礼(第14番)
清水寺の朱印所で頂けます
明治末年まで仁王門の左手前に位置していた
聖武天皇と光明皇后の安産を祈願して創建されたとも云われるも由来は不詳
門前の「三年坂」の由来を、泰産寺に通じる坂でお産を安寧にとの「産寧坂」の転訛とする説もある

子安塔から見た清水寺
西門から本堂まで揃い踏み!爆笑

動画も撮ってみました


子安塔から音羽の滝へ向かいます
福禄寿の石仏
近世に福禄寿と言われ、福徳に預かるためお参りする人が増えたそうです

その先には祠や石仏など
祠は音羽稲荷大明神のもよう!?


転々とあります


その道のとこにトイレがあるのですが、その辺りに石碑が2つありました

乾山(けんざん)記念碑

解説
乾山記念碑
尾形乾山は江戸中期の陶芸家
(1663〜1743年)
仁清に学び鳴滝窯を開き
兄の画家光琳の絵付による合作を出し色絵京焼の発展に大きく貢献した
碑の書は臨済宗建仁寺派管長竹田黙雷(もくらい)禅師の筆になる
大正9(1920)年
清水寺貫主大西良慶和上の後援で洛陶会が建立した
(原文のまま)

その奥には仁清記念碑

解説
仁清記念碑
野々村仁清は江戸前期1世紀の陶芸家で京焼色絵陶器の完成者とされる
仁和寺門前に御室窯を開き
華麗優雅な茶陶を焼造して出世したことに因み碑書は仁和寺門跡法龍大僧正の筆になる
清水寺貫主大西良慶和上が後援し大正9(1920)年洛陶会が建立した
(原文のまま)

その先の音羽の滝の手前にはお店がありました
お休み処滝の家
店の前にも座席があり、そこでも食べることが出来るようでした😄
こちらは茶金という目利きのお蔭で茶碗が出世する落語「はてなの茶碗」の発端となる茶屋なんだそうですびっくり

清水寺のこと続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ