寛政三奇人と言われる人物の像(高山彦九郎像) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(10月9日のこと)です
金剛寺を後にして、三条通りを戻って行きます
三条京阪駅の川端通り近くに大きな像があります
高山彦九郎皇居望拝之像
住所・京都市東山区大橋町
高山彦九郎
1747〜1793年
上野国
江戸中期の尊王論者
寛政三奇人の1人
先祖が新田義貞の系譜であることを知り、若年から熱烈な尊王論者となる
18歳で上京、4年間滞在
その後、諸国を行脚
京都には計五回来訪
三条大橋にひざまづいて皇居を遙拝するなどの奇行で知られた
九州・久留米で自刃
(京都大事典参照)
こちらは三条通りを通られた方で見られた方も多くあるのではないでしょうか?
なんで土下座?🤔
と不思議に思う像でしたが、調べて見ると上洛する度に御所に向かって拝礼されてて、それを再現されていた像でした!びっくり
ちなみに、寛政の三奇人と呼ばれる他の人は
林子平
蒲生君平

そして、この像は京都三大銅像の1つでもあるそうです
こちらの他の銅像はというと
円山公園にある坂本龍馬像
嵐山にある角倉了以像ということです

像のアップ
この台座の書(最初の画像で微かに見える)は東郷平八郎が書いたものだそうですびっくり

その横にはこちらの石碑
高山彦九郎先生皇居望拜之趾

正面から

そちらには解説もありました指差し
 高山彦九郎皇居望拝之像
江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入口であった。今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747〜1793)の姿を写したものである。
 高山彦九郎は、群馬県の出身である。18歳の時以来、前後5回、上洛したが、京都に出入りする折りには、この銅像の姿のように、京都御所に向かって拝礼した。
 その姿は
大御門 その方向きて 橋の上に
  頂根突きけむ 真心たふと
      橘 曙覧(たちばな あけみ)
と和歌に詠まれた。
  明治維新を成就した勤皇の志士達は、彦九郎を心の鑑と仰いだと言われる。
 後、明治の中頃の俚謡、サノサ節には
  人は武士
  気概は高山彦九郎
  京の三条の橋の上
  遙かに皇居をネ伏し拝み
  落つる涙は鴨の水アサノサ
と謡いつがれた。
   京都市観光部振興課
   高山彦九郎大人顕彰会寄贈
(原文のまま)

その近くに歌碑

横から

石柱にも俳句が書いてあるありました
三条の銅像の人物が、そんなに明治維新と間接的に関わるような人物とは思いませんでしたあんぐり

市内のことが続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ