令和4年度 京都浄土宗寺院特別大公開 その2(金剛寺) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(10月9日のこと)です
三条通を東へ向かい、次なる目的地に到着しました
金剛寺
住所・京都市東山区三条通白川橋東入五軒町124
御本尊 阿弥陀如来
HP 金剛寺 

札所 洛陽四十八願所巡り(第27番)
駐車場なし

駒札
 金剛寺
 当寺は一切禁経山とする浄土宗の寺院である。奈良時代、天平年間に行基が東岩倉山(左京区)の一切経谷に創建した阿弥陀堂に起源をもち「上の堂」とも称した。
 伝えでは、行基は丈六の阿弥陀如来像を彫ったとされる。丈六とは仏像の理想の大きさで一丈六尺(約4.8m)の略。座れば一丈程度(約3m)になる。応仁の乱で、東岩倉山一帯は戦場となり、当寺は荒廃したが、伝えによると焼けた御堂から首だけになった阿弥陀如来像を信者たちが見つけだし、それを粟田の地に遷し、仮堂(粟田惣堂)を建てこも(わら)を敷き、その上に阿弥陀如来の頭部像を祀ったところから、今も蹴上には「小物座(こも座)町」という地名が残る。
 以降、地元の住民たちによって御堂は守られ信仰されてきたが、慶長7(1602)年に岌然(きゅうねん)上人が、青蓮院門跡の許可を得て、現在の地に堂を移し寺を再興した。
 正徳3(1713)年には本尊が修復され、享保15(1730)年には本堂が建立され、現在に至る。
 また当寺は「洛陽四十八願所巡り」の第27番の札所であり、慶長年間の頃から、朱印に「行基菩薩御作 出陣の弥陀安置」という印を捺している。
  京都市
(原文のまま)
山門の前で出店がありました

山門をくぐった左手に石柱

その少し先に本堂が見えています

少し進むと左手にお堂


右手に庫裏

本堂
撮り忘れていましたが、この左側に休憩所も作られていました

本堂へ入ると、右側に御朱印を頂ける場所が設けられています
そちらで御朱印を頂いたら、線香まで頂けてしまいましたびっくり
そしてこちらも撮影全てOKということだったので撮らせて頂きました照れ

御本尊 さまは丈六の仏像で大きいですあんぐり

掛け軸なども展示されていました

こんな屏風も

龍の部分のアップ

小さめの仏像
こちらも味がありました( *´艸`)

御本尊の前に住職がおられて、お話をしたり、念仏上げられるを一緒に唱えたり
その時、木魚を初めて叩きました爆笑
小さなものですが、ポクポクと心地いい音がして癖になりそうでしたよ🤣
住職は優しい感じいいの人で、そんな体験なども出来て楽しい時間を過ごすことが出来ましたおねがい

こちらで頂いた御朱印(書き置きのみ)です

リーフレット

こちらが頂いたお線香
短いタイプのでした
ちょうどオカンに供えられるので良かったです😄

この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ