京都市内と府北部を繋ぐトンネル(老ノ坂トンネル ) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

今回から去年(令和2年)11月1日のことになります
大口の散策のお蔵入りはこれでいよいよ最後になります(^^;
それでも1ヶ月近くのアップとなると思いますが(爆)
これが済むと京都市内の散策は当面なく、最後となります
最後までお付き合い頂ければ幸いです(..)

この日は特別公開へ行くため、いつものごとく早朝出発車
亀岡で雲海じゃないけど、そんなっぽい光景を見つつ先へ進みます

今回の最初は亀岡から市内へ地道(国道9号線・現在は高速からのルートもあるので)から侵入して行くには必ず通るトンネルのことから
老ノ坂トンネル
戦国時代はもちろんトンネルなどありませんでしたから、明智光秀
(もちろんイメージはこの方🤣NHKTwitterより)
が本能寺へ向かう時にここは通ってませんが、この旧道(山陰道)を通ったと通説になっています
その旧道はおそらく以前アップした首塚大明神辺りだと思います
ちなみに他に通ったルートでは、唐櫃越え明智越えなどがあります

通られてるとお分かりのように、トンネルが2つあり1つは現在遊歩道となっています
和風洞
昭和9(1934)年竣工
全長225m
このトンネルは現在車が通ってるトンネル・松風洞が交通量の増加により、その対応のため新造されたものです
その時、一旦古い松風洞は廃止
しかし、更に交通量が増加したため、昭和40(1965)年に松風洞を拡幅して復活
なので僕はこの2トンネル時代のイメージが今も残っています爆笑
その後、こちらの後から造った和風洞が廃止となりました
後から造った方が結局廃止になるとはびっくり
(京都大事典参照)

トンネルとトンネルの間の石碑
草で読めないショボーン

和風洞を歩いてみます


中の壁はコンクリートで打ってあり綺麗なものですΣd(・∀・´)

これは亀岡側

老の坂隧道のプレート
ちなみに今さらですが隧道とはトンネルのことなんですΣ(゚∀゚)

出たとこのトンネルとトンネルの間にも石碑

2つの老ノ坂トンネルを望む

現役の松風洞のプレート
一旦廃止となった松風洞は、明治19(1886)年竣工
全長189m
当初は煉瓦造りのトンネルとして開通しています
記憶は定かではありませんが、今もその名残があるかもですσ(^_^;)?

和風洞を戻ったとこ(京都側)
老ノ坂トンネルの京都側を出たとこから、上記した首塚大明神 

へ向かう道があります
車1台分の幅ですが😅
亀岡側からの方が道幅はもう少し広いです😄

トンネル出て、少し行った左側の高場にはお堂らしき跡があります
子安地蔵尊
住所・亀岡市篠町王子田ノ尻26
反対の石柱に銘が打ってあったようです💦

錠もかけられてあり、入ることは出来ませんでした
どうも調べていると、首塚大明神とも関わりがある伝承もあるようです
鬼を退治した源頼光らが、その首を持ち帰ろうとすると、お地蔵さまに「その様な不浄のものを持ち込んではいけない」と言われ、現在の首塚大明神があるとこに埋めたと言うものです
僕が聞いたことあったのは、頼光らが首を持ち帰ろうとしたら、首が現在の首塚辺りで重く動けなくなり、そこに埋めたというものでした
京都大事典では、こちらが紹介されています

次回から市内散策のことになります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ