前回からの続きです
国道9号線を走っていると、ご存知京都市内と亀岡市の境に老ノ坂があります
その旧道になるとこには源頼光の伝説に纏わるとこがあって、ず~~~と気になっていたのをこの日やっと行けました
首塚大明神
住所・京都市西京区大枝沓掛町
場所は市内からだと、老ノ坂のトンネルの手前の脇道(左手)へ行く(ただこの道は車1台分くらい)か、トンネル過ぎた最初の左手へ行く脇道へ行って、市内へ向くと道沿いから見えます
追記(令和2年11月1日撮影)
老ノ坂トンネル手前の脇道のは入り口はこんな感じ
で、狭さもこんな感じ
これがほぼ車1台分で、しばらく続きます😓
ここ首塚大明神は、源頼光が酒呑童子を討ち取り、首級を都へ持って帰ろうとしてましたが、峠に安置されていた地蔵尊が「鬼のような不浄なものを都へ持ち帰ってはならぬ」というと、鬼の首を入れた入れ物が動かなくなり、ここに埋めたということです
(ときめく妖怪図鑑参照)
だから首塚
動かなくなった話は知ってましたが、地蔵尊が言ったため動かなくなったという経緯は知りませんでした
そして酒呑童子の根城というと、福知山市の大江山(大江町)が有名というか、定説でありますが、昔は西京区と亀岡市の境にある大枝山(おおえやま)だったとも云われているそうです
そうだとしたら、わざわざ福知山の大江山から都までわざわざ来んわなぁと納得出来る話です
いろんなとこに鬼伝説はありますが、鬼というのは都から言う他の従属しない勢力であったり、部族のことを言ったのでないかと言われています
恐れたり、蔑んだりというとこなんでしょう?
ちなみに東夷(あずまえびす)という関東の武者(男)を表す言葉がありましたが、その夷という言葉も中国から伝わった蔑んだ言葉から来ています
ときめく妖怪図鑑で書かれていて、なるほど!と思ったのが鬼のスタイル
鬼と言うと、角が生え、虎のパンツ(腰巻き)をしていますよね⁉
その昔は決まった姿はしてなくて、ましてや角も生えてなかったそうです
それが仏教が伝来して、地獄の獄卒のイメージが加わり、更に鬼門から鬼がやって来る
鬼門は丑寅の方向だから、牛のような角が生え、虎のパンツ(腰巻き)をしている!という風に更なるイメージが加わっていった結果が現在知られてる姿になった経緯のようです
とまあ、こんな感じで鬼の伝承ひとつ取っても、歴史の背景や成り立ちが感じられます
Σd(・∀・´)
だから歴史は面白い
最後にこちらの神社は、首より上の病気に霊験あらたかとされいるそうです
昼は本のこととなります
今日は画像を全てサルベージ出来なかった伏見の画像を撮り直しに行ってくる予定ですf(^^;
今日は1日いないので、週末ですがコメ欄閉じておきます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ