直指庵を訪ねてみるも…と秋の七草のこと | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
(令和2年9月16日のことです)

国道162号線で京都市内入りしたので、まだ行ってなかった直指庵へ行ってみることにしました

駒札
大覚寺の近くを通って行くのですが、途中から見事に狭い道!ガーン
車1台分しか通れないとこを抜けて山門へ着きました
他に道があったのかな?
そんな道をドキドキしながら通ってきたのに、なんと現在一般拝観が中止されましたえーんもちろんコロナの影響だと思います😖
次回に持ち越しになってしまいました😰

で移動して、嵐山で駐車場に停めて、少し歩いて美術館を目指します
その道中では(おそらく)秋桜見たり

渡月橋の前の商店街は朝10時頃でこんな感じ😓
この日は定休日の店も多かったというのもあったからかもしれません

もちろん?渡月橋もこんな感じ😅


秋桜の他にも女郎花(オミナエシ)

桔梗(キキョウ)なども見ました

ちなみに春の七草は知ってましたが、秋の七草もあるとは知りませんでした😅
その秋の七草は上にアップした
女郎花(オミナエシ)
桔梗(キキョウ)
他が
萩(ハギ)
薄(ススキ)
(令和2年10月18日撮影)
撫子(ナデシコ)
葛(クズ)
藤袴(フジバカマ)
となるそうです
これは奈良時代の歌人・山上憶良が万葉集にて選定したということです
山上憶良(やまのうえのおくら)
660〜没年不詳
奈良時代初期の官人・歌人
遣唐使節として42歳に渡唐
5年後帰国
帰国後は幼い聖武天皇の教育係に
67歳で筑前守となり、大宰府へ
貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)のような貧困農民を詠ったものや、子供への愛情を主題にした歌が多くみられるそうです
万葉集には長歌(11首)短歌(64首)旋頭歌(せどうか・1首)が取り上げられている
その憶良の歌を一首
憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ
それその母も 我(あ)を待つらむそ
憶良めは もうお暇させてもらいます
子どもが泣いているでしょう
それにその母も私を待っているでしょうから

これ宴会の最後に詠んだ歌だそうです
そしてこの時の年齢は70過ぎ(笑)
おどけて詠んだ歌で、戯笑歌(ぎしょうか)というんだそうです
(よみたい万葉集・日本史1000人上巻参照)

次回は美術館のこととなります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ