前回からの続きです
(令和2年9月16日のことです)
国道162号線で京都市内入りしたので、まだ行ってなかった直指庵へ行ってみることにしました
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200917/21/shouta09/95/96/j/o0800045014820997182.jpg?caw=800)
ちなみに春の七草は知ってましたが、秋の七草もあるとは知りませんでした😅
その秋の七草は上にアップした
女郎花(オミナエシ)
桔梗(キキョウ)
他が
萩(ハギ)
薄(ススキ)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201030/22/shouta09/46/86/j/o0800045014843212170.jpg?caw=800)
(令和2年10月18日撮影)
撫子(ナデシコ)
葛(クズ)
藤袴(フジバカマ)
となるそうです
これは奈良時代の歌人・山上憶良が万葉集にて選定したということです
山上憶良(やまのうえのおくら)
660〜没年不詳
奈良時代初期の官人・歌人
遣唐使節として42歳に渡唐
5年後帰国
帰国後は幼い聖武天皇の教育係に
67歳で筑前守となり、大宰府へ
貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)のような貧困農民を詠ったものや、子供への愛情を主題にした歌が多くみられるそうです
万葉集には長歌(11首)短歌(64首)旋頭歌(せどうか・1首)が取り上げられている
その憶良の歌を一首
憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ
それその母も 我(あ)を待つらむそ
訳
憶良めは もうお暇させてもらいます
子どもが泣いているでしょう
それにその母も私を待っているでしょうから
これ宴会の最後に詠んだ歌だそうです
そしてこの時の年齢は70過ぎ(笑)
おどけて詠んだ歌で、戯笑歌(ぎしょうか)というんだそうです
(よみたい万葉集・日本史1000人上巻参照)
次回は美術館のこととなります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ