本阿弥光悦京屋敷跡を少し歩くと、今出川通りへ出ます
そこを右へ曲がると
白峯神宮があります
こちらの御祭神は、崇徳天皇(第75代)、淳仁天皇(第47代)
崇徳天皇は、保元の乱(1156年)で讃岐国へ配流となり崩御された天皇だそうです
淳仁天皇は、弓削道鏡らの謀計により廃位となり、淡路島へ配流後、崩御。
という不幸な境遇の天皇が祀られています
そう御霊信仰の一つの神社のようです
それも明治天皇が造営(1866(慶応2)年)されたというのですから、新しい神社です
(由緒書き・京都大知典参照)
駒札
夕方だったためか?門は半分閉まってました
出るころには閉まっていたので、危なかったです(;^_^A
(平成31年4月29日撮影追加)
門をくぐると、拝殿
拝殿の左側には撫子桜というのが植わってました
ちなみに右近は橘
まずは右手へ
手水舎
その後ろに
(枕草子で上げられた9つのうちの1つ)
オグタマノキの横にはこんな歌碑
その横には蹴鞠の碑
なぜ白峯神宮に蹴鞠の碑があるかというと、ここには平安時代に蹴鞠・和歌の宗家・師範として朝廷に仕えてた公家・飛鳥井家があったからのようです
そして後で紹介しますが、摂社に精大明神というのがあって、その摂社は飛鳥井家の守護神として祀られてたんだそうです
それが球技や芸能の守護神として尊崇されてたことから、今では名だたる球技の関係者がお参りされることとなったようです
(由緒書きより)
補足 保元の乱というのは、1156(保元元)年に後白河天皇と崇徳上皇とが争い崇徳上皇が敗れ、讃岐に流され松山で亡くなったという出来事のことです
(図説日本史参照)
今回も長くなるので次回へと続きます
では、またぁ~(* ´ ▽ ` *)ノ