報恩寺をほぼ下って(南下して)いくと、ビルの角に駒札と石碑がありました
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180204/23/shouta09/04/45/j/o0480085414125409622.jpg?caw=800)
駒札の解説にありますが、晩年は徳川家康から鷹峰に地を与えられて、そちらで亡くなるまで過ごしてたそうですが、それまでの58年はまさにここで暮らしていたそうです
たいていは石碑だけってパターンですが、こちらは
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180204/23/shouta09/fe/5c/j/o0480085414125409666.jpg?caw=800)
ビルの壁際に井戸跡?などがありました
と今回はこれだけです(笑)
あまりに味気ないので、本阿弥光悦のことでも
江戸初期随一の文化人
家業の刀剣の鑑定、研磨のほか、絵画・陶芸・書道・茶道・作庭などに独創的な才能を発揮したとあります
寛永の三筆と言われるくらい書に秀でていたそうです
1558~1637年
(京都大知典参照)
ここから少し行くと、白峯神社があります
次回の記事はそこになります
では、またぁ~(* ´ ▽ ` *)ノ