最強の上司、A部長 後編 | ■■■現役商社マン/武浪猛の商社マン流人生指南■■■     若き血に燃ゆる者たちへ!

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このままじゃ、日本国は滅亡の国家に成り果てる。 世界の中で揉まれてきたオレは、オレ流の武士道というものを育んで来た。オレの言葉が、少しでも君ら若者の心に刺さればと思って、オレはこのサイトを立ち上げた。 さぁ、この国を元気にしようじゃないか。

前回はオレが若手の頃のA部長のやんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。



だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。


オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。


A部長は就任早々に独自の戦略を立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。


「いいか、タケシ。仕事で大事なのは、徹底的な論理的マインドとほんの少しの気合だ」

というのが彼の口癖だった。当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。今思えば、A部長は当時から、既にアメリカやヨーロッパのビジネススタイルだった。



オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際のピンチだったことがある。今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話をアメリカからA部長にかけて、指示を仰いだ。

オレは要点を要領よく説明し、A部長に


「どうすれば良いか?」


と聞いたところ、一言、


「タケシ、任せた」


と言われてあっさり電話を切られた。



その時は「何と無責任な上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。



数年してから、オレは


「あのやり方は、あまりに放任すぎじゃないですか?」


とA部長に銀座のバーで問い詰めてみた。A部長は


「バーで仕事の話をするとは、低俗極まりない。5分だけ特別だ」

と前置き(笑)してから口を開いた。



「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」

「そうは言っても、もし失敗していたら・・・」

「商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」

と言われ、来日している著名なオペラ歌手のコンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。


とにかく豪快なオヤジだったが、自分のフィロソフィーを持っていた。



オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。


何より

「勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの」

とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。



しかしA部長はなぜかMBAの意義をわかっていた。きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中のエリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。


「タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」

「これからの時代は、MBAが国際ビジネスのパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」


と言われた。精神力だけが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。


「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカのスクールだな。ヨーロッパのスクールの推薦状は書いてやらない」

と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)。それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。


オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。



留学報告も兼ねて、久々にA部長のところに行くと、いきなり

「いくぞ、タケシ」

と言われて、銀座の高級寿司屋に連れて行かれた。


MBA留学でますます直球勝負に磨きがかかったオレは、ずばり


「役員の件は本当ですか?」


と聞いてみた。



「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」

とあっさり切られたが、

「留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」

と言って、それからまったく脈略なくフランスの歴史やら農業の話を延々と聞かされた。


まったく意味不明だよ(笑)


そうしたらさ、ある日、いきなりA部長は早期退職してしまったんだ!


オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長がサメと泳いでいる写真が送られて来た。


一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランスで暮らしていると言うじゃないか!!!


最初はビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海のクルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。


あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。



その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。


実に生きにくい世の中だ。


A部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。



しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。社会を安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。


A部長の生き様を見て欲しい。



A部長も、あんな生き様だから、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。

「S部長が経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」

「K室長が、A部長の案件に反対の立場だと噂ですよ」

とかオレが心配して密告しても、子供のような顔をして

「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」

「K室長は哲学科出身だけあって、話が深くて勉強になるんだ」

と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。


「言葉は切っても、人格は切らず」とよく言っていたしな。



一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか?


オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。だから、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。


もう一つA部長を見習うべきところは、自分のフィロソフィー(哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。MBA的な研修で小手先のフレームワークや技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学、信条をしっかりと作り始めるべきだ。


これは短期間でできるものではない。膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会いや経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。


哲学、歴史、文学、論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。A部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。


オレも部下にこういう大胆な生き方、自分の哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。



オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。


またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術、文化面がまだまだ弱い(笑)。もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。




「タケシ、ビジネスなんてほどほどにして、本を読め、音楽を聴け、食を味わえ、旅をしろ。何より今夜も人と出会え」



そんなA部長の声が、真夏の南フランスから聞こえてきそうだ。


Takeshi Takenami