❲※注∶ 以下の拙文に関しては、20代の頃に何度も読み返した、作家·“小林信彦”が“中原弓彦”名義で著した『日本の喜劇人』(喜劇役者·芸人を知る為のバイブル的な名著)に拠る処が大きい…っ❗❳
【“財津一郎”と云う喜劇役者…】
後年·晩年の“財津一郎”を知る人にとっては、個性的な俳優の印象が強いだろうし、昨今の若い人達には、’泣いてる赤ん坊が泣き止む!‘と話題になった「タケモトピアノ」のCMに出て来るおじさんのイメージなんだと思うのですが、この“財津一郎”と云う人、実は、歌もプロ並みでタップも踏めるボードビリアンであり、軽演劇から喜劇まで演じ分けられる喜劇役者·コメディアンであり、数々の映画·TVドラマ·舞台に立つ性格俳優でもある…と云う、実に器用な名優の中の名優の一人と云っても過言では無い役者·俳優なのです…。
今でも東京キー局の番組ではお呼びが掛からないので大阪の準キー局のバラエティ番組などに出演しているタレントがそれなりの数でいますが、それはっ、どの時代でも同様で、“財津一郎”は、東京のコメディ·ボードヒルの世界で上手く行かず、極貧生活の中、食い詰めて大阪(関西)へ流れて行った西下組のコメディアンで、この時代にもこの様な、所謂、都落ちしたコメディアン·喜劇役者は数多くいて、例えばっ、吉本の大看板だった‘横山やすし·西川きよし’の“西川きよし”の師匠で『細うで繁盛記』や『どてらい男』···など“花登筺ドラマ”の常連だった“石井均”は…、
東京で軽演劇の一座まで持っていたのに失敗して大阪へ流れて来た都落ちの1人ですし、大阪のコメディ番組で名を売った“茶川一郎”も…、
東京から大阪へ流れて来た西下組の1人なのです…。
さてっ、大阪へ流れ着いた“財津一郎”は、相変わらずの極貧生活から抜け出そうと藻掻き続け、やっと、当時の吉本興業へ身を寄せることが出来、吉本新喜劇の座長にまで出世、そこに、世の人々に名前を知らしめる一大転機が“財津一郎”に舞い込んで来ます…。
“藤田まこと”演じる‘あんかけの時次郎’と“白木みのる”の‘小坊主·珍念’がコンビを組んで日本諸国を漫遊する『てなもんや三度笠』の‘浪人·蛇口一角’と云うキャラクターを個性たっぷり大胆に演じ…、
奇声を発したり、「キビシ〜っ!!」·「◯◯して〜ちょ〜だい!」などの流行語まで産み出したり、‘蛇口一角’こと“財津一郎”の名前は、一気に全国区へと拡がっていきます…。
唯…っ、視聴者の反響が大きかった“財津一郎”の演じた‘蛇口一角’のキャラクターですが、その演技が余りに怪優·奇優的だった為に、観ている視聴者の好き嫌いが分かれ、又、製作サイドでも好き嫌いが分かれて、このコメディ番組の脚本を著していた“香川登志緒”は脚本の中で毎回‘蛇口一角’を殺し、演出の“澤田隆治”は毎回それを生き返らせていた…などと云う逸話が残っています。
その後、良し悪しな別として、“財津一郎”は‘、浪人·蛇口一角’から全く別のキャラクター‘桜不二夫’と云う…、
いつも三脚写真機を担いでいる欧米諸国で写真技術を学んだと自称している写真師の役で、‘あんかけの時次郎’·‘珍念’と共に旅をすることになるのですが、この‘桜不二夫’を演じる“財津一郎”は、‘蛇口一角’以上の変人ぶりの怪演·奇演を見せています。
『てなもんや三度笠』の番組終了の翌年、吉本興業を退社して東京に戻った“財津一郎”は、東京に戻った当初はコメディアンセンスを買われ、TV·映画を問わず…、
TVドラマ最後の出演は、2011年の『3年B組金八先生 ファイナル』で、これ以降、“財津一郎”としての芸能活動を休止していました…。
他にも、“財津一郎”は、アニメの声優として声の出演をやったり、ナレーションをやったり、バラエティ番組の司会を務めたりしていますが、“財津一郎”と云えば、やっぱり、「タケモトピアノ」を初めとするCMの数々を思い出される方も多いと思います。
2015年に熊本日日新聞紙上にコラム「私を語る」を掲載、同年、コラムを纏めた『聞いてチョウダイ根アカ人生』を上梓した他は、一切の出演依頼を断り…、
お互い病の身にある自身と妻の体調を気遣いながら晩年を過ごしていましたが、2020年の妻の死後は、運転免許証も返納し、朝4時半のヨガ体操や月一のゴルフを楽しみながら余生を送っていました。
そして…っ、哀しく残念なことに、本年·2023年10月14日、慢性心不全の為、89歳で鬼籍に入られました…。
“財津一郎”氏のご冥福を心より祈念申し上げます…。
···合掌···。
さて…っ、〘今夜の一曲〙ですが、故·“財津一郎”氏の出演していたCMをみてみましょう…っ😌😌😌