米沢富美子監訳、スチュアート・カウフマン著『自己組織化と進化の論理』という書籍を紹介する。
生物学における非常に大きな謎は、生命が生まれてきたことであり、私達が目にする秩序が生まれてきたことです。創発理論は、窓の外の素晴らしい秩序の創造を、背後に存在する何らかの法則が反映した当然の結果であると説明してくれるでしょう。私達は、圧倒的倍率を勝ち抜くこ組織の力を見せつけられることになります(434頁参照)。この視点は個から全体に波及するプロセスを考慮しているものです。最終的には相転移という全体に波及されなくては意味がありません。決して個の我儘な権利主張だけを認めているわけではありません。個が自己利益を追求し、それが最終的に全体の利益と一致してこそ意味があります。部分組織の力は「全体と個の有機的な調和」が図られてこそ有用なのです。そして、全体の進化は多様な部分組織の力を必要とします。生物、人工物、組織などは全て、でこぼこで変形を繰り返す適応地形の上で進化し、共進化します。生物、人工物、組織など複雑なものは全て、互いに拮抗し合う制約条件に直面しています。したがって、適切な妥協点に向かって進化しようとする試みの結果、でこぼこの適応地形の上で、系がうまく適応した山の頂上(ピーク)に到達したとしても驚くにあたりません。また、可能性の空間は普通広大なものなので、人間はその中をある程度盲目的に探し歩いているにちがいない、と考えても不思議ではありません。複雑な実際の生活上の多くの問題については、先のことはほとんど分かりません。そうだとすれば、他の組織が作る適当な場所(ニッチ)で生活している組織―細胞、生物、ビジネス、政治、その他―が直面する問題は、主として、変化し続ける適応地形の上でどのように進化し、移動する適応度の山をどのように追いかけるべきかというものです。変化する適応地形の上で山を追いかけることが生き残るための中心課題です。適応地形は、私達が手に入れることのできる妥協案として、最高ではないにしても優秀な成績を追求する役割の一端を担っています(432頁参照)。とによって生じた存在ではありません。宇宙の中にしかるべき居場所を持つ存在であり、生じるべくして生じた存在です。「創発」の観念は、「全体は部分の総和以上のものである」という文章で表現されます。十分に複雑な化学物質の混合物は自発的に「結晶化」して、それら自身を合成する化学反応のネットワークを、集団的に触媒できる可能性があります。これらの集団での自己触媒系は、自分達自身を維持し複製する能力を持ちます。私達が生物代謝と呼んでいるものと何ら変わりません。化学反応の絡み合いが、私達の全ての細胞に活力を与えています。この見方に従えば、生命が出現する前の化学システムにおいて分子の多様性が増加し、その複雑さがある一定の閾値を超えた際に、生命現象が創発したと考えることができます。生命とは、単一分子の性質の上に成り立つのではなく、たがいに相互作用している分子系の集団的な性質の上に成り立つものとなります。生命は全体として創発し、常に全体として存在してきたことになります。生命は部分の上に成り立つのではなく、部分が作り出す全体の集団的・創発的性質の上に成り立つものとなるのです。集団的な系には、そのどの部分にも存在しない驚くべき性質が存在するのです。自己複製することもできるし、進化することもできるのです。集団的な系は生きているのです。各部分は単なる化学物質だというのに(51頁参照)。
進化は、生物が遺伝的な変化によって適応し、またその適応度を増やしていこうとする物語です。生物学者達は「適応地形」というイメージを長い時間持ち続けてきました。その曲面は適応度の違いを表わしたものであり、ピークは高い適応度、つまりよりよく適応していることを示します。突然変異、自然淘汰、ランダムな自然のなりゆきなどによって、集団は適応地形上のピークを探して動きまわることになります。しかし、おそらくピークに辿りつくことはありません。この適応地形という考え方は、様々な例に適用できます。例えば、全ての生物の適応度についても、適応地形を考えることができます。曲面の高い所にいて、ある一連の特徴をそなえた生物は、その付近にいるどんな変種よりも適応度が高いです。より子孫を残しやすいがために、高い適応度をもつのです。多くのピークをもった適応地形の上で繰り広げられる過程を支配しているのは、驚きばかりの普遍的な法則だということです。これらの普遍的法則は生物の進化において分類群の上位の方から埋まっていったカンブリア紀の大爆発から、はじめにめざましい変形が現れ、後に細かい改良に行き着く技術的進化に至るまでの現象を説明してくれます。「カオスの縁」というテーマもまた、普遍的な法則の一つの可能性になります。適応度のピークに向かって登っていく際、適応しようとしている個体群のうちで、その探求のあまりに几帳面にかつ臆病に行うものは、麓の小さな丘につかまったままになってしまいます。そして、自分が行ける最も高い所まで到達したと勘違いしたりします。しかし、逆にあまりにも広く探し回るものも失敗に結びつきます。この進化空間で最良の探索を行うのは、秩序と無秩序の相転移点のような状態にある集団なのです。この集団にとっては、自分達がそれまで囚われていた局地的なピークは、溶け合っていく感じになります。そして、より高い適応度をもつ離れた場所へと、尾根づたいに流れていけるのです。「カオスの縁」というイメージは、共進化にも現れます。私達が進化したとします。この時、私達の競争者も、適応するために進化し続けます。彼らの進化の結果、私達はさらに適応しなくてはなりません。共進化の系では、それぞれの種が適応地形のピークを目指して登っていきますが、その地形自体も、共進化の相棒が適応的に活動することにより、終始変形しているのです。こうした共進化の系も、秩序的な状態、カオス的な状態、そして転移状態をとります。これらの系は転移状態すなわちカオスの縁にある状態に向かって共進化していくように見えます。各々の種は自己の利益のために活動しているのに過ぎないのに、系全体としては、まるで「見えざる手」に操られているかのように振る舞います。そして、だいたい、各種が最善を尽くした時に行き着くような安定な状態へ進化するのです。ところが、この最善の努力にもかかわらず、系全体の集団的な振る舞いによって、各々が絶滅へと追いやられることもあるのです(56頁参照)。
民主主義は、「数の力の原理」と極端に単純化して考えられることがあります。勿論、民主主義は、そのようなことよりもはるかに複雑な政治プロセスです。アメリカ合衆国憲法と権利章典が連邦制を生み、国全体が州と呼ばれるいくつかの部分つまり部分組織に分割されています。州もまた郡や市などの部分組織から成り立っています。それらの管轄区域は重なることもありますが、一番小さな部分組織である個人の権利などは保証されているのです(468頁参照)。国家成長の源泉は個人にあります。個の自由度と多様性から新しいモノが生まれ、成長を推進していくのです。組織が部分組織(パッチ)に分かれ、それぞれが自己利益のために努力すると、仮にその一つ一つが一見、系全体の利益に繋がりそうにないものでも、見えざる手が作用したかのように、系全体の向上に繋がることがあるのです。どういうふうに部分組織が分割するかという点にトリックが隠されています。そして、秩序領域、カオス領域、その間の相転移がやはり登場します。秩序領域では系全体がそれぞれあまり満足のいかない妥協をし、カオス領域では妥協に至ることがなく、相転移領域ではみんなにとってかなりよい解決法が見つかります。私達は部分
平成22年10月11日から愛知県名古屋市でCOP10が開催されました。「COP」とは、国際条約を結んだ国が集まる会議(締約国会議)のことです。多様な生き物や生息環境を守り、その恵みを将来にわたって利用するために結ばれた生物多様性条約に関して、10回目の締約国会議「COP10」が開催されたのです。条約の三つの目的は、①地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全すること、②生物資源を持続可能であるように利用すること、③遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ衡平に配分することです(生物多様性条約第10回締約国会議支援実行委員会ホームページ参照)。
インフルエンザの治療薬のタミフルは、中華料理の香辛料に使われる常緑樹トウシキミの実の八角を原料にしています。他にも、癌や白血病など様々な病気の薬が、動物や植物、微生物から抽出されていて、世界の医薬品の4割ほどが自然界からもたらされたものだということです(平成22年4月9日・読売新聞中部版参照)。八角からの抽出成分も遺伝資源なのだそうです。遺伝資源とは森林や野原の植物、土中の微生物、海の生き物などから抽出された物質のことです。遺伝資源は、薬や化粧品、健康補助食品の原料として使われることが多く、高価なものも少なくありません。科学の発展とともに様々な用途が見つかり、遺伝資源の価値が上がりました。穀物や野菜のように、それ自体が有用なものとは違い、抽出され、加工されて価値の出るのが特徴です。遺伝資源は発展途上国で見つかることが多いといいます。先進国に比べ、調査の進んでいない場所が多く残されている上に、生物多様性が守られているからです。まだ発見されていない遺伝資源が将来、莫大な利益を生み出す可能性もあるのです。その利益をどう配分したらいいのかで、先進国と発展途上国で意見が分かれたようです(平成22年6月11日・読売新聞中部版参照)。」
私達の世界は多様性の中でバランスが維持されています。相互依存、相互関係の中で生命は維持されているのです。生物群集の動力学や生物群集の組み立てを調べている生態学者は、十分に理解されている理論を使って研究を進めています。第一の関心事は、捕食動物と被食動物、あるいはその他の相互作用の絡み合った生態系において、個体数が時間的・空間的にどのように変動するかということで、このようなテーマを個体群動態論と呼びます。20世紀初め、A・J・ロトカ氏とV・J・ヴォルテラ氏の二人の理論生物学者は、今まで広く使われている基本概念の多くを確立し、生物群集の中で多くの異なる種類が相互作用することで増えたり減ったりするような簡単なモデルを定式化しました。数十、数百、数千の種が互いに相互作用する複雑な生物群集において、それぞれの種に含まれる個体数の変化、つまり個体群の動力学(個体群動態論)が調べられています。これらの種の間の繋がりのいくつかは、どの種がどの種を食べるかという食物連鎖です。しかし、生物群集は食物連鎖よりも複雑です。二つの種は互いに助け合う立場にもある場合もあるだろうし、競争相手かも知れないし、寄生する側とされる側かも知れないし、その他の色々な繋がりを持っているかも知れないからです。一般的に言って、このようなモデルにおける多様な個体群は、安定なパターンに落ち着くか、複雑な振動を示すか、カオス的振る舞いになるかのいずれかです。生物群集の中のいくつかの種は、その個体数が減少し結局は全滅してしまう場合もあるでしょう。そのうちに他の種が移りすみ、その生物群集における相互作用の関係や個体群動態そのものを変えてしまうかも知れません。ある種は生物群集に入り込んで他の種を絶滅に追いやるかも知れません。一つの種の絶滅は他の種の個体数を増加させるかも知れませんが、場合によっては他の種まで絶滅に巻き込むかも知れないのです(374頁参照)。そして、全体と個は相互進化、共進化するものです。花は昆虫と共に進化します。昆虫は花に受粉させ、花は虫に蜜を与えます。長い長い時間を通して相利共生が営まれてきました。初秋の野原の美しさの中では蜂達が蜜を探し、ダンスを踊って宝の発見を仲間に知らせています。植物の根は根粒バクテリアに炭水化物を与え、根粒バクテリアは植物が必要とする窒素を作り出します。私達、人間は植物に二酸化炭素を与え、植物は私達に酸素を提供してくれます。私達皆が持ち物を交換しているのです。人生は巨大なモノポリーゲームのようです。究極の貨幣としてのエネルギーを用い、太陽が銀行の役割をしています(383頁参照)
スチュアート・カウフマン氏著の『自己組織化と進化の論理』という書籍はカオスの縁や適応地形などのキーワードを駆使した一般的なシステムの進化に関して解説した書籍です。