矢内原忠雄訳・新渡戸稲造著『武士道』を紹介する。 NHKで司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』が放送 | 松陰のブログ

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矢内原忠雄訳・新渡戸稲造著『武士道』を紹介する。


NHKで司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』が放送されましたが、この書籍は、その当時の時代背景を理解しながら読むべき書籍だと思いました。日本が西欧列強に追いつけ、追い越せと努力していた時代。鹿鳴館を建てて、西洋の文化を積極的に取り入れようとしていました。不平等条約を改正すべく、日本は西洋に文明国として認められようとしていたのです。その気持ちがこの書籍の節々に感じられます。日本の精神や魂を理解してもらいたい、日本の文化の素晴らしさを分かってもらいたいという思いが伝わります。「一国民の過去の経歴を無視して、宣教師らはキリスト教は新宗教だと要求する。しかるに私の考えでは、それは「古き古き物語」であって、もし理解しうべき言葉をもって提供せらるるならば、すなわち一国民がその道徳的発達上熟知する語彙をもって表現せらるるならば、人種もしくは民族のいかんを問わず、その心にたやすく宿りうるものである(156頁参照)」など、日本が西欧と変わらない文明を持つことを強調する文章がたくさん書かれているからです。


樋口一葉女史の前の5千円札で有名な新渡戸稲造氏はベルギーの法学の大家であるド・ラブレー氏の歓待を受け、その許で数日を過ごしましたが、或る日の散歩の際、宗教の問題を聞かれたといいます。「あなたのお国の学校には宗教教育がない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授が質問しました。「ありません」と新渡戸氏が答えるや否や、ド・ラブレー氏は打ち驚いて突然、歩を停め、「宗教なし!どうして道徳教育を授けるのですか」と繰り返し言ったことを新渡戸氏は忘れないと著書『武士道』に記しています(11頁参照)。日本には「八百万の神々」の考え方もあり、また日本国憲法第19条にて「思想・良心の自由」が制定されていますので、これ以上、宗教について語りませんが、ただ道徳教育に関する日本と西洋との差異はこの一文に感じられました。


新渡戸氏は「封建制度及び武士道を解することなくんば、現代日本の道徳観念は結局封印せられし巻物であることを知った」とし、日本人の道徳観念を武士道に求めました(12頁参照)。武士道とは道徳原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、もしくは教えられたるものです。それは成文法ではありません。清々、口伝により、もしくは数人の有名なる武士もしくは学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎません。むしろ、それは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多いのです。不言不文であるだけに、実行によって一層力強き効力を認められているのです(27頁参照)。武士道とは成文法ではなく、代々、語り継がれていった道徳規範だったようです。


私は武士道と日本人の道徳規範の同一視に少し疑問を感じていました。江戸時代には士農工商という身分制度があり、士族が武士道を道徳規範にすることには納得できますが、他の身分にある農工商にも武士道という道徳規範が当てはまるのだろうかという疑問です。私の尊敬する吉田松陰先生も松下村塾にて身分にとらわれない教育を施したり、草莽崛起の思想を示しましたし、坂本龍馬氏は米国のように身分に関係なく大統領になれる制度を目指しました(坂本龍馬氏は郷士という下級武士の身分のため、土佐藩で差別を受けた生い立ちが大きく影響しています)が、身分制度がある故に身分制度を破壊しようとしたのであり、封建制度社会の中では身分を越えることは異質でした。異質が故に、吉田松陰先生も坂本龍馬氏も目指したのです。その答えは、著書にも記載されていました。ブシドウは字義的には武士道、すなわち武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味します。一言にそれば「武士の掟」、すなわち武士階級の身分に伴う義務です(27頁参照)。つまりノブレス・オブリージュなのです。以前、NHKの白洲次郎氏のドラマで、白洲氏が英国の上級階級が守るべき義務として、ノブレス・オブリージュを近衛文麿元首相に語っている場面を思い出します。


武士道とは支配階級の守るべき規範なのです。封建制の政治は武断主義に堕落しやすいです。その下において最悪の種類の専制から吾人を救いしものは仁でした。孔子は『大学』において、「民の好むところこれを好み、民の悪むところこれを悪む、これをこれ民の父母という」と教えました。専制政治と父権政治との差は次にあります、専制政治は、人民は嫌々ながら服従するに反して、父権政治は「かの誇りをもってせる帰順、かの品位を保てる従順、かの隷従の中にありながら高き自由の精神の生くる心の服従」です(52頁参照)。


また、武士道とは、日本人の根底に流れる義、勇、仁、礼、誠、名誉を重んじる道徳的規範のことです。何よりも恥を重視し、恥を背負って生きるよりも死を選ぶ価値観を持っていたのです。「恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である(78頁参照)」。「もし名誉と名声が得られるならば、生命そのものさえも廉価と考えられた(82頁参照)」。私は切腹まで行くと行き過ぎだと思いますが、この「恥」という概念は失われつつある日本人の美徳だったように思えます。恥じる心を持てば、犯罪は減ります。恥じる心があれば、ストーカーもしないでしょうし、恥じる心があれば、待ち伏せも嫌がらせも覗きも当たり屋も総会屋も集団リンチも情報操作も権力の悪用もしないでしょう。恥ずかしいという心があるからこそ、人間は自省し、人の道を外さないようにするのです。嘆かわしいことに最近の日本人は恥じる心を失いつつあるように思えます。故に犯罪を行うことに躊躇がなくなっているように思えます。


この書籍には私が尊敬する吉田松陰先生の言葉も引用されていました。150頁にて、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、国民および個人を動かしてきた。新日本の最も輝かしき先駆者の一人たる吉田松陰が刑に就くの前夜詠じたる次の歌は、日本民族の偽らざる告白であった-


かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂


形式をこそ備えざれ、武士道は我が国の活動精神、運動力であったし、また現にそうである」と記載されていました。武士道は日本人の肉体を突き動かす精神という源泉だったようです。


新渡戸稲造氏に関して有名な話ではありますが、日露戦争時、金子堅太郎は米国に戦争の調停役を依頼しました。しかし、ロシアのマスコミを買収した巧みな情報操作工作により、アメリカではロシア有利に世論が動いていました。その時、金子堅太郎は、日本人の魂を理解してもらうため、ハーバード大学の同窓生だったセオドア・ルーズベルト大統領に英訳された新渡戸稲造の『武士道』という書籍を渡しました。その書籍に感銘を受けたセオドア・ルーズベルトが日露戦争の調停を引き受けたという話です。ちなみにテディベアの「テディ」とは、このセオドア・ルーズベルトのことです。どこまで真実な話かは分かりませんが、テディベアの美談のあるセオドア・ルーズベルトならば実話なのかも知れません。


しかし、私には、欧米人が真に『武士道』という書籍を理解し、感銘を受けたのかどうか、若干の疑問を持っています。『武士道』には、腹切に関しても記載されてありました。我が国民の心には、この死に方(切腹)は最も高貴なる行為ならびに最も切々たる哀情の実例の連想があります。切腹は我が国民の心に一点の不合理性をも感ぜしめないのは、他の事柄との連想の故のみではありません。特に身体のこの部分を選んで切るのは、これを以って霊魂と愛情との宿るところとなす古き解剖学的信念に基づくのです(107頁参照)。武士道は名誉の問題を含む死をもって、多くの複雑なる問題を解決する鍵として受けいれました。これがため功名心ある武士は、自然の死に方をもってむしろ意気地なき事とし、熱心に希求すべきではないと考えました(109頁参照)。切腹が単なる自殺の方法ではありませんでした。それは法律上ならびに礼法上の制度でした。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法でした(110頁参照)。このように武士道では当然のように切腹を肯定していました。


だが、キリスト教(カトリックとプロテスタントの違いはありますが)では自殺は禁じられております。かつてゴッホは自殺したために教会で葬式をあげてもらえなかったと聞きます。そのような文化圏の国民が切腹という自殺を理解できるのでしょうか。このような疑問を持ったのも現代に生きる私自身が切腹という方法に疑念を感じているからです。昨今、先進国のほとんどで死刑すらなくなっている現代に生きる私達には切腹という方法は理不尽に感じるはずです。私も神様から授かった生命を大切にするのが人の道と考えています。第二次世界大戦中、死を覚悟して片道の燃料で飛び立った神風特攻隊や捕虜になるなら死を選ぶという日本の理不尽で不幸な価値観も切腹と関係しているように思えてなりません。『武士道』という書籍の中にも、「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯でありました(115頁参照)」、「『血を流さずして勝つをもって最上の勝利とす』その他にも同趣旨の諺があるが、これら武士道の究極の理想は平和であったことを示しています(125頁参照)」という一文があり、これは死に対する日本人の救いになるものと考えます。


新渡戸稲造氏は、当時において武士道が終焉していることを自覚し、武士道が終焉した時を明治3年としていました。「我が国においては1870年<明治3年>廃藩置県の詔勅が武士道の弔鐘を報ずる信号であった(162頁参照)」と。しかし、新渡戸稲造氏は、武士道は例え武士道という言葉を失っても日本人の精神の根底に棲み続けると考えていました。武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかも知れない。しかしその光明はその栄光は、これらの廃址を越えて長く活くるであろう。その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。百世の後その習慣が葬られ、その名さえ忘らるる日到るとも、その香は「路辺に立ちて眺めやれば」遠き彼方の見えざる丘から風に漂うて来るであろう(166頁参照)と述べています。


さて、現在の日本に良い意味での武士道は残っているのでしょうか?