平成29年5月15日、次田真幸訳の『古事記(下)』を読破した。 | 松陰のブログ

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平成29515日、次田真幸訳の『古事記(下)』を読破した。


仁徳天皇から推古天皇までの出来事が記載されている。下巻では、仁徳天皇、雄略天皇が中心である。しかし、物語があるのは、仁徳天皇から顕宗天皇までで、仁賢天皇から推古天皇までは系譜記事しか記載されていない(168頁)。


まず、仁徳天皇は人格者であり、国民を慈しみ、仁の厚い方であったこと。仁徳天皇は、人民の窮乏を知って、課役を三年間免除し、そのため皇居が破損して、雨漏りがしても修理をしなかったそうだ(26頁)。優しい天皇であり、尊敬できる天皇だと思った。


一方で、仁徳天皇は応神天皇から分化した天皇という説があるそうだ(63頁)。今まで応神天皇と仁徳天皇は全くの別人だと思っていたので、少し驚いた。


軽太子と軽大郎女の話などは、天皇という地位を争う古代の実情を伝えている(83頁)。また、上巻、中巻に比べて歌の記載が急に増えている。  


雄略天皇が赤猪子という女性に結婚してやると言いながら八十年もそのことを忘れていて、その間、赤猪子が結婚もせずに待っていた話は、例え天皇だとしても人間としてどうなんだろうかと思った(118頁)。


以前、テレビ朝日の『グッドモーニング』という番組内のクイズに牡丹の「丹」の字の語源が出題されていたが、その答えが、古事記の解説として、丹は赤の顔料と記載されている(151頁)。平成29427日に放送されたNHKの『日本人のおなまえっ!』という番組で解明した長谷川という名前の源になった初瀬川についても「泊瀬の河」として記載されている(93頁)。平成2946日に放送されたNHKの『日本人のおなまえっ!』という番組で解明した斎藤という名前の源になった斎宮についても記載されていて、解説欄に、若帯比売命が斎宮になったと書かれている(113頁)。


天皇家を取り巻く豪族の勢力図の変化も古事記を通して知ることができ、平群氏、葛城氏、丸邇氏、物部氏、大伴氏、蘇我氏などの権勢が分かる。


今は宇治谷孟著の『日本書紀(上)』を読み始めている。