港区の重要文化財(建造物)の探訪録(その1) | 柵飯事2~shigaramimamagoto ~

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 港区には、国宝を含む国指定重要文化財の建造物が10あり、都内の基礎自治体としては台東区に次ぐ多さです。ただ、区内に広く分散していることから、なかなかまとめて探訪することが難しいエリアです。今回は、そのうち東側エリアの7か所の探訪録を掲載します。

 

 まずは、JR浜松町駅東口近辺にある徳川二代将軍、徳川秀忠の台徳院霊廟惣門です。プリンスパークタワー東京の屋外駐車場に接した場所にありますが、元々は増上寺の敷地内にあったもの。
 霊廟を簡単に言えば、なくなった方をお祀りし、大物であれば参拝できるようにした建造物一式のことです。この頃は神仏習合なので、秀忠を神様として祀ったはずなのに金剛力士が設置されています。
 戦災で社殿などは焼失、残った門のうち3つが所沢に移設され、第一の門で最も装飾が少ない惣門が残されています。日光東照宮を参考に建立されたので、社殿は相当キラキラだったのでしょう。
 1632年の建造物です。
  

 そこから南下すると同じ通りほど近くにある増上寺の三解脱門、通称、三門があります。
 増上寺は浄土宗の古刹で、江戸城の裏鬼門を守護する位置にあり、徳川家の庇護により大きく発展しました。本来は徳川家の菩提寺だったのですが、途中から鬼門に開山した寛永寺と増上寺の境内に順番に歴代将軍の霊廟が建立され、財政難から徐々にシンプルなものになっていったといいます。
 とにかくバカでかい。屋根を支える詰組もでかい。風で倒れたものを1621年に再建したとのこと。
 

 そこをさらに南下すると、程近くに七代将軍徳川家継の有章院霊廟二天門があります。こちらは完全に江戸様式ですね。
 その他の木造の霊廟施設は戦災で焼失しています。入口でこれですから、社殿に進むほどキラキラした建造物となっていた他の建造物はどれだけの豪華さだったのでしょうか。6歳で亡くなった家継で、八代将軍吉宗が建立した有章院霊廟ですが、吉宗の命により、その後は他の霊廟に合祀される運用となります。
 1717年の建造物です。
  

 さらに南下をすると慶應義塾大学キャンパスがあります。その敷地内には2棟の重文建造物があります。何年か前に仕事で来て以来ですが、なぜだか大学に入るのは緊張します。
 まずは、慶応の象徴である図書館旧館です。1912年の建造で、レンガ造りで尖った屋根、窓の多さなどが特徴のネオゴシック様式です。今回は、写真の掲載枚数の制限上割愛しますが、日曜祝日以外であれば館内は無料で見学できます。
 ちなみに、初代館長は、当時としては最先端の社会科学であった社会学を専攻していた田中一貞でした。最近亡くなりましたけれども山岸健という社会学業界では名の知れた教授兼エッセイストがいましたが、学生に対する教育熱心な方との評判がある一方、私は如何にも大学教員然とした態度が正直なところ好きではありません。というか嫌いでした。結局、彼の教育もむなしく、現在では社会学の地位は大きく失墜しているのを天国からどう評価しているのかしら。
 

 同じくキャンパス内にある三田演説館です。福沢諭吉の出資により作られた木造の建造物であり、現在でも定期的に活用されていますが、見学日は限定的でこの日は外観のみ見てきました。格子状のなまこ壁が和を感じさせます。
 1875年の建造物です。
 

 そこからさらに南下すると、明治学院大学があります。プロテスタントの普及の拠点機能があっただけあって、いくつもの宗教施設があります。上二つは重文ではありません。
 最初の写真は礼拝堂で、1916年の建造物です。東京都指定有形文化財。
 次の写真は明治学院記念館で、かつての校舎に相当するものでしょうか。1890年の建造物です。港区指定有形文化財。
 

 そして、国指定重要文化財のインブリー館です。かつての宣教師の邸宅で、プロテスタントにしてはなかなか良いお住まいです。1889年の建造物となります。
 いずれも内部見学が可能ですが、やはり割愛します。
 

 そこから南西部に進むと、都営三田線の白金台駅そばにあるのが、瑞聖寺(ずいしょうじ)です。瑞聖寺は黄檗宗(おうばくしゅう)と言われる江戸期に明で始まった禅宗の一派で、仏教の宗派としては新しめです。
 1757年に再建された大雄宝殿は、当時の中国の影響をもろに受けていることから、他の寺院と風情が違いますね。 

 二層の屋根、正面には松木が植えられ、丸窓や角材、柱への彫刻などの特徴が目視できます。
 ちなみに、隣接して現代建築家の隈研吾氏によるスタイリッシュな回廊が敷設しており、新旧の建造物の対比が面白いです。
 
 現在の港区は、せわしない雰囲気のある街ですが、歴史的建造物によってそれが緩和されているような気もします。
 次回はいつになるやらですが、残りの3つの重文も探訪する予定ではあります。
 
【つづく】