おかちゃんやで~!
最近だいぶ暑くなってきましたね。
とろけそうですw
月曜日は法政大学の卒業生であるばるぞーさん(@balzo521)と二人でご飯食べにいってきました!( ̄▽+ ̄*)
日本一周の話とか、広告の話とか、やりたいことのはなしとか色々話しましたね~
あっというまに過ぎちゃいましたね!
社会事業というものにばるぞーさんも興味があったみたいで意外でした!
そこで盛り上がっちゃいましたよ!( ´艸`)
また次は広研連れて行かないと肩パンくらいそうです!w
今日はこれから新聞屋さんのバイトっす!
その前に石巻市の被災地レポートを記していきます
前回の記事はこちら
宮城県石巻市現地報告【1】
午後は石巻を中心に女川方面を回って水産加工で有名であった鮎川方面、牡鹿半島のほうをぐるーっと回った。

周りを見渡しても山に囲まれた地帯が津波で流されている光景
胴回りを見渡しても海らしきものは見えない場所。
それなのに閑散として壊滅的な状態。
どこから海水が流れ込んだのだろうか?
ここに住んでいた人たちは逃げることができたのか?
ここまで津波がくるとだれが予想していたのだろうか?

別に海からすぐの場所にあるわけではないのに
三階の屋上に乗り上げているバス。
ここ一帯があのバスのところまで水で一杯だったのだろう。
そこらへんにそれ以上とみられる高い建物は見当たらなかった。
鮎川のほうに入っていく。

ここ一帯はすごい嫌な臭いが立ち込めていた。
まだ全然手が付けられていない地帯。

腐敗した匂いががきつかった。
ハエも異常な数が飛んでいた。
地獄をリアルに表すならばこんな場所なんじゃないか。
そう思ってしまうほど厳しい光景だった。
この中に人がうまっている可能性だってないとは言い切れなかった。
考えたくはなかったけどそれが可能性としてあるのも事実だった。

そこから雄勝町のほうへ向かう。
雄勝町では震災当日にも何度もテレビにでていた雄勝小学校のほうにいった。

近くに落ちていた上履き
片方だけ。

学校の中はだいぶ片付いてはいた。
小学校でめちゃくちゃになってしまった持ち物が一つに固められていた。
確かにここにある生活の証。
胸が詰まる。

ここで勉強してた小学生たちがいた。
写真が一枚だけ二階の教室の前に張られていた。

このお墓はの前には今回の津波で流されてしまった子のお母さんからその子への手紙がたくさん置いてあった。
「巴くんごめんね。見つけてあげられなくて」
「毎日、毎日、おかあさんは巴くんのことを思うとわんわん泣いてしまいます」
「巴くんいつ帰ってくるのかな?お母さんさみしいよ」
「昨日ね、巴くんに夢であえたんだ。また次に夢の中であえた時は抱きしめるからね。」
最後まで読むのがつらかった。
いまでも思い出すたびに涙が溢れそうになる。
まだ見つかってない人もいる。
大切な人が突然いなくなっちゃう。
一瞬で何もかも奪い去られる。
これがおれが肌で感じた現実。
復興まで50年?いやもっとかもしれない。
おれたちはこの現実から目をそむけてはいけない。