はてさて――ここまでで、あたなは「あなたの世界は、あなたという主人公と脇役である登場人物や、あなたが接する舞台との関係性によって成立している」と知った。
そこで「いやいや、それすらが錯覚とか幻想かも知れない」といったら、あなたは驚くだろうか? そらあ、驚くよね。ごもっともであるし、とても正しい感覚だ。
もしかしたら「尚龍よ。狂ったか」かも知れない(笑)。
でもね。
これからの引用を読んでみて――それでも「世界は普遍的に厳然と存在するし、自分との関係だって不変である」と、あなたがいえるなら……ボクはもう、あなたに降参するしかない。
あなたにとって、このブログでの説法は意味がない……というか、あなた自身が磐石な存在なので、もう必要ないといったほうがいいかも知れない。
さあさ、あなたの足場を崩してみよう(微笑)。
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あなたは基本的に毎日、ゲーム(人生という)を終了する。いや、エクステンド状態にするといったほうがいいだろう。睡眠だ。そして目覚めると、あたかもゲームが継続しているかのように感じる。なんの疑いも持たない。
はたして、そうだろうか?
こんな風に考えてみたことはないかなあ……眼が覚めて気づいた「いま」は、いきなり「いま」だって。きのうまでのことは、あったと思ってるだけ。明日からも、きっとあると信じてるだけ――
実は、そうともいえるんだよ。だってさあ、コントローラを握るあなたが電源を入れ、ゲームを再起動し、バックアップデータをダウンロードしたから、ゲーム内の主人公のあなたは目覚めたわけだ。でもって、これからゲームのつづきをプレイする。
この時、バックアップデータ――すなわち記録が再生されて、あたかもきのうと同じように(つづいているように)ゲーム面が構成される。あなたは、それを記憶と照らし合わせて「つづきだ」と認識する。
でも、この記憶もやっぱバックアップデータから再生されていることには気づかない。
さきに「あなたの認識できる世界」について話したよね。あの時は「空間」についてだったけど、ここでは「時間」を考えてみよう。
あなたはきっと「時間というものは過去から未来に向けてとうとうと流れている」と考えているだろう。そして「現在」は、その流れの中の「いま」を指すと思ってる。
でもね。いまいちど「空間の認識」を考察したみたいに……よ~く考えてみよう。ほれ、空間については「あなたがそこにいる時、それなりの空間――部屋や調度、景色など……が構成されていれば問題ない」といったよね。
じつは、この中に「時間の認識」も包摂されていたんだ。つまり、あなたがいる空間は、その(いる時の)瞬間の時間でもある。そう「いま、この時」だ。あなたが空間を認識しているこの時、同時にあなたは時間を認識している。
そして、あなたは「その時しか認識できない」という事実。すなわち、時間というのは所詮、概念に過ぎず――認識できるのは「いま、この時」以外に存在しないのだ。
分かるかな。ちょっと図表で考えてみよう。
むかし、学校で座標というのを習ったことがあったろう。そう「x軸、y軸」というやつのことだ。横向きにx軸の目盛りが描かれていて、縦向きにy軸の目盛りが描かれていて、いろんな線を引いた。
その中で、いちばん簡単な「y=x」というのを思い出してくれ。そうだ。垂直に交わるx軸とy軸に対して、ちょうど斜めの線を引く。この時、縦軸であるy軸が時間、横軸であるx軸が空間と思おう。すると、あなたは、その斜め線上のどこかにいることになるのは分かるよね。その「いる点」が、いまの「あなたと時間と空間」である。そして斜め線そのものが、あなたの人生ともいえる。
ところが、あなたがいるのは、その「点」にだけで、ほかにはいない。なのにひとは、ずっといたかのように勘違いする。時間という概念にだまされて、継続しているかのように思うし、さらに継続すると考えるんだよ。
しかし継続しているのは「いたと思う『記憶』だけ」で、その保証はどこにもない。同じように斜め線の先に人生が継続すると――つまり「いるであろうと『幻想』を抱く」ことに疑問を感じない。
ちがうんだ。あなたが存在するのは「点」にだけであり、うしろに記憶という線を引きずっているだけ。そして、先に線があるかどうかも保証の限りではない。
にもかかわらず、時間は継続しているという概念設定を頑なに信奉して、それを足場にするから大変になる。しんどくなるんだよ。この「時間」という言葉は、あくまで言葉に過ぎない。
そして、その言葉は「概念」を表すもので、遠いむかしの先祖が定義したものである。これが山とか川とかといった眼に見える具体的なものの名称だったら分かりやすいんだけど、残念ながら「時間」は概念の域を出ない。
……中略……
このようにして呪縛された思考は自由になれず、あなた自身も縛ってしまう。この「思考」という言葉だって、やっぱ概念だ。すなわち呪縛された概念が、ほかの概念を縛る足かせとなって、負の連鎖を引き起こす。
ちがうだろ。
あなた(もちろんゲームの中で、もがいているあなたでなく――コントローラを持つほうのあなた)は全面的に自由の筈だ。それが、ゲーム内の呪縛に囚われてしまっていることに気づこう。
いいかい。人生ゲームの中で、主人公であるあなたはスイッチが入っている「いま」存在するだけなんだ。過去にもいないし、未来にもいない。そして、あなたが知っていると思っている過去は、あなたの記憶に存在するだけ。
……中略……
こう考えると――いま本書を読んでるあなたは眠りから覚めるとともに……きのうまでの記憶とはまったく別のバックアップデータを読み込んで起動してプレイしている主人公でないという保証はどこにもない。
その上書きされた記憶に合致したゲーム空間にいれば絶対に分からない。記憶との齟齬はないからね。極端な話、男と女が入れ替わったり、世代が入れ替わったり、人種が入れ替わっていても……まったく違和感なく、そのままプレイしてしまうだろう。
もちろんボクは「あなたがきのうまでとは別人の人生ゲームをプレイしている」といっているわけじゃない。きのうのつづきでOKだ。また、そのほうが自然だろう。ボクがいいたいのは、記憶ってものは所詮、その程度の存在であるということ。
さらに最近の脳科学では「記憶は置き換えられる」というのが定説だそうだ。
ひとは、過去に経験した苦しみや哀しみなどのイヤな記憶を少しずつ、そうでない記憶に置き換えるそうである。でないと、いつまでもイヤな記憶に支配されて、そのストレスで「いま」を生きられない。いうなれば、身体の持つ自己防衛機能だ。ほれ、古来から「時間薬(じかんぐすり)」って言葉もある。
この置き換えられた記憶は次第に強固になり、やがてハナからの記憶となる。するともう、ウソ発見器でも検出できなくなるそうだ。だって本人にとっては、本当のことなんだからね。そうとしか思考できないんだから当然といえる。
ことほどさように過去の記憶なんていい加減なもんなんだぜ。だから子どものころのケンカ相手は、いい想い出に化けるんだ。イヤなヤツでなくなってしまう。
ましてや未来に登場するイヤなヤツなんて分かるわけがない。だから過去も未来も、うっちゃってしまえばいい。そして認識できる「いま」だけを思考すればいいんだよ。
分かった? イヤなヤツというのは「いま現在」にだけに存在する。反対にいうなら「いまいなければ、どこにもいない」ということだ。なのにひとは、ず~っといるかのように勘違いする。それこそ自分で自分を呪縛してるようなもの。
もういちどいうよ……いないんだ!
……中略……
さらに――たまたま趣味やスポーツの話になって……あなたがベテランで、上司がそのビギナーだったりして「こんど教えてくれよお」なんていってきたら、もう「おっ、いいヤツやんか」の世界だ。
そうなんだ。いくらイヤなヤツでも全方向でイヤなヤツはいないのである。だったら生きていけない。ヤクザの親分でも娘には甘いんだよ。だったら「いま」あなたに向いている顔が、いいヤツだったらそれでいい。ぜんぜん問題はないだろう。
そしてもし、ソイツがいま、あなたにイヤな顔を向けていたら――ゲームでいう、相手の攻撃中ってこと。スライムやトロールの攻撃といっしょ。あなたはHPをロスしないように防御に徹すればいい。大丈夫さ、そんなに長時間にはならないって。
でもって防御の方法は簡単! 左頬はよけて、無視することだ。
そうだね、暴風雨がやってきてると思おう。それに挑んでも無意味。百害あって一利なし。一目山遁走寺に避難だ。まずは自分の安全と健康を大切にしよう。そのうち過去になるのだから……
やがて過去になったら、自発的に記憶の置き換えをおこなう。すると過去は素敵な記憶となり、あなたの人生からイヤなヤツは雲散霧消してしまう。
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このことを仏法では「諸行無常、諸法無我」っていう。そう「縁起」のこと。
すなわち存在とは、移ろう万物の「いま、この時(瞬間、刹那)限り」の姿に過ぎないってわけ。そして、これがこの世の基本設定だ。
だから関係性だって「いま、この時限り」に現出した相互依存のカタチに過ぎないって気づこうよ。