人生ゲームの登場人物で「腹立つヤツ」ほど「ネタ」にしようぜ | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 これまででボクは――

・この世は強者の都合と論理でできている
・だから弱者は虐げられ搾取される
・ひとは結果だけを評価する
・経済社会でお金がないのは悪とされている
・でも結局は身ぐるみはがされるシステム

 ……といったことを述べてきた。
 ただ、思いちがいをしないでもらいたいのは――ボクは「それが悪い」とは、ひと言もいっていない。というか、そのことに善悪良否の判断は与えていない。このことだけは認識していてほしい。
 あくまで、あなたの(もちろん、ボクの)人生をプレイする共通ダンジョンである「世の中ってのは、こんな風になっている」と設定について分析し、解説したに過ぎない。

 けれど、あなたがどう思おうが、あなたは(もちろん、ボクも)、この設定のダンジョンから逃れられない。死ぬまで「そんな世間」で生きるしかないのである。
 でもって「そんな世間」とは、あなたと「だれか」によって構成されている。言い換えるなら関係背の中に成立しているのだ。
 なので今回からは、このことについて考えてみよう。

 ほいで引用――

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 もう、あなたは世間――ボクたち(あなた……そして、ボク)の人生ゲームにおける共通の基本設定と、あなた自身のいるダンジョンについて理解してくれたことだと思う。

 しかし、あなたとボクのいる人生ゲームの共通設定面には、いまひとつ大きな要素が絡んでいる。そう「ひと」だ。つまり人間関係というもの。これナシで人生ゲームはプレイできないようにできている。そんな設定になっているのだ。

 ほら、最初に「あなたがうまくいかないのは世の中のせい」っていったろ? この「世の中」っていうのは、要約すれば「ひと」ということだ。

 ……中略……

 だから、やっぱ「ひと」なんだ。なので、この世界を人間社会と呼ぶ。そして、そんなひとびとが、あなたの人生ゲームのステージに登場しては去っていく。これまた、あなたとの関わりを人間関係と呼ぶ。
 ところが、この人間関係というもの――あなたの人生を充実させるとっても重要な要素であるとともに……大きな悩みのタネになる代物である。
 なぜなら、これまた(あなたにとって)いいヤツばかりが登場しないようにできているからだ。というか――同じ人物でも、ある時は「いいヤツ」で、ある時は「困ったちゃん」になるから難儀なのである。

 ひとは、さまざまな人間関係の中で暮らしている。そう、あなたとの関係性が、ひとによってちがうわけだ。
 親子関係、夫婦関係、恋人関係、友人関係、師弟関係、同僚関係、取引関係、趣味関係、ライバル関係、敵対関係……あまたの関わりがあり、親子だけど師弟、同僚だけど趣味の仲間、友人だけどライバルというように重複することも多い。
 そんな複雑な人間関係――だけど、あなたにとっては、あくまであなたを起点とした「なんらか」の関係ということになる。
 そして良好な関係であるうちは問題がないんだけど、ひとたび歪(いびつ)なことになると、あなたを悩ませる最大の問題となってしまう。

 ……中略……

 ここでボクは「問題」といっているけど、これをゲーム的に言い換えると「課題」となるだろう? そう、ダンジョンをクリアするための条件だ。
 だって人生とはいうものの……ゲームなんだぜ。だから、あなたがレベルアップして、つぎのステージに進むために用意された「宿題」だといってもいいだろう。

 ……中略……

 そんなさまざまな課題や宿題の中で「人間関係」は、あなたの人生ゲームにおいて、とても大きな問題である。なぜなら、あなたがプレイする人生ゲームで、環境や個人の基本設定以外では最大のテーマであり、かつ、千差万別の登場人物が現れるからだ。
 ある意味、人間関係との格闘(かならずしも、そうではないけど――笑)の連続体が人生ゲームのストーリー展開ともいえるからである。

 すると、この人間関係がグッと重荷に感じてしまうかも知れないね。だって、それ自体が「問題」であり、相手との関係が「課題」であり、クリアするまで「宿題」となってしまうんだから……。はあ、やんなっちゃうよねえ(ため息)。
 ボクだって「問題」は嫌いだ。ましてや、それが「宿題」になるなんて、正直「勘弁してほしい」ってところ。
 さらにそれが「イヤなヤツ」だったらどうよ?
 いまのダンジョン(ゲーム面)で、なんとかクリアしても、つぎの面でまた登場。それもパワーアップしてとなると、これはもう「ごめんこうむりたい」とボクは思うわけさ。

 だからね。こんな風に考えてみない?
 それは、あくまでゲームを面白おかしく……楽しくするための「ネタ」だって。そう、どこまでいっても自己中で考えればいい。
 だって、あなたの人生ゲームのメインプレイヤー――すなわち主人公はあなただよ。だから主役であるあなたが自分勝手に判断していいんだ。

 ちなみにこの「主人公」って言葉の語源を知ってるかい?

 ……中略……

 ちょうど唐の時代の終わりごろ、瑞巌寺(ずいがんじ)に師彦(しげん)という和尚さんがいたそうだ。この和尚さん、生涯に亘って説法をしなかった。
 弟子が和尚のもとにいくと彼は自分に向かって「主人公よ」と呼んで「はい」と答える。そして「起きてるか?」「はい」「気分はいいか?」「はい」「だまされるなよ」「はい」と、そこに弟子がいないかのように自問自答をくり返す。
 ハタから見ていたら、ブツブツいってる変なオッサンというところ。まあ、いま風にいうならOJTで「やって見せる」なんだろう。

 そこでだ。この師彦和尚の真意はこにあるのだろう? これはもう「絶対的一者」としての振る舞いというしかない。この絶対的一者というのは「この世には自分しかいない」ということだ。つまり「自分がいなけりゃ世界もない」という認識といってもいい。だから主人公なのである。

 いやいや、それどころか仏教の祖とされるお釈迦さまだって、そうだ。このお釈迦さまには、いろんな伝説(後世でつくられたみたいだけど)がある。

 中でも誕生時の伝説――。
 ゴータマ・シッダルータ(のちの仏陀・釈尊、つまりお釈迦さま)は生まれると三歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」といったそうだ。
 まあ、新生児が歩くことも話すことも考えられないので、こっちは見え見えのつくり話だ。のちの世で釈尊の威光を高めるための創作である。

 だけど「天上天下唯我独尊(ホントは漢文でなく、マガタ語とか古代サンスクリット語の方言であるパーリー語だったとは思うけど)」については、布教の途上で、そんな風なことをいったんだろうと思う。
 この「天上天下唯我独尊」を現代の言葉にすると「わしゃあ、この世でいちばん偉くて尊い存在なんじゃあ」とでもなるのかな。下品な翻訳でごめん(笑)。
 そして額面どおりに受け取ると、まるで思いあがった独裁者のようだ。
 だけど悟りを拓いて立派な覚者となったお釈迦さまが、そないな傲慢なことをいうわけがない――そうだろ?
 すると本意を推し量る必要がある。
 そこで人生ゲームだ。きっとお釈迦さまは「おれはおれの人生ゲームの主人公だ」といったのだとボクは思うわけ。だから、このことは「あんたはあんたの人生ゲームの主役でっせ」と同義だ。あなたからしても、やっぱり「天上天下唯我独尊」となるわけ。

 分かったかな。あなたが主人公である限り、あなた以外の存在は(あなたの人生ゲームでは)あなたなしには存在し得ないということだ。そう、あなたがいなけりゃ用なしなんだわさ。
 もっというなら、あなたがいないと「なんもできない」か弱き存在なのである。それどころか、あなたがいないと存在すらできないのだよ。

 こう考えると、あなたから見るなら、あなたの人生の「ネタ」だろ――あなたの人生の登場人物は……
 なのにひとは、この「ネタ」に引っぱられ、振り回されてしまう。いい意味での影響を受けたりするのはゲームを楽しくしてくれるけど、単なる「ネタ」のほうに主人公の座を明け渡してしまうと大変だ。
 あくまで「ネタ」として接しようよ。

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 肩の力を抜こう。
 あなたを悩ますあのひとも、苦しめるこのひとも、腹の立つそのひとも……あなたが、おっ死んじまったら同時に消え失せる。だって、あなたの死は、あなたの人生のゲームオーバーだからね。電源がオフになれば、はい「おしまい」なわけ。
 ということは「あなたなしでは生きられない」サブキャラなんだよ。それをメインキャラと勘違いするから、あなたは大変になる。
 ちゃう、ちゃう。相手は遊んでほしいといってるだけ。だったら存分に遊んであげればいい。あなたの「ネタ」としてね……