この世は、どんなに稼いだところで結局、身ぐるみをはがされる社会システムさ | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 あなたが、この世を去る時、お金も土地家屋も友人知人も……築きあげた一切の財産は持っていけない。サルでも分かる話だ。
 これはまあ、いいだろう。だって、あの世には関係ないからね。ところが強者(権力者や為政者、その手先)に資するこの国の社会システムというダンジョンは、まだ生きているのに身ぐるみをはがされる設定になっている。
 これは、チト困る。

 じゃあ引用――

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 お金についての結論を述べる前に――この国のシステムについて考えてみよう。

 よく「ひとは、なにも持たずに生まれてきて、なにも持たずに死んでいく」とか「無一物で生まれてきて、すべてを置いて旅立つ」なんていうよね。「ひとは裸で生まれて、裸で死ぬ」なんていうこともある。
 なんか「みんな公平」だといいたげな言葉だ。

 たしかに……生死そのものの現象を見たら、そのとおりだ。だけど、生まれてきたところ(場所や環境、両親の社会的地位や経済状態などなど)によって、歴然とした差があるのが、この世なのだ。

 ……中略……

 けれど「なにも持たずに死ぬ」というのは万人共通である。それどころか「裸で生まれてきて、その裸すら置いていかないといけない」のが人生の最期というもの。すっぽんぽんところか、ずんべらぼうなんだよ(笑)。
 まあ、これは生死という自然の理(ことわり)についての話だから、ここでは措くことにしよう。あくまで、お金……経済のことを考えてみる。

 じつは――この国(日本)には「どんだけ稼いだとしても、結局は身ぐるみはがされる」という恐怖のシステムがある。つまり、生きているだけで(いや死んでからも)コストを徴収されるんだ。それを社会控除と呼ぶ。
 すなわち税金(直接税や間接税)や社会保障費(健康保険や介護保険、年金)のことだ。これが、びっくりするような「ぼったくりシステム」とか「あと出し可能システム」になっている。

 まずは税金。分かりやすいところでは所得税。
 これは(基礎控除などはあるものの)所得に対しては、きっちり徴収される。まあ、これはいいだろう。国民の義務である「教育」「勤労」「納税」のひとつだし、それによって行政サービスがなされるんだから……ね。
 ただ、びっくりするのは、この所得税をベースに算出される住民税だ。これは、なんと翌年に徴収にやってくるのである。だからリストラなんかに遭った場合、収入がなくなるだけでなく、その年は無収入の中から払わないといけなくなるのだ。

 ボクの知ってる日給月給ではたらいていた派遣社員(アルバイト)なんかは、会社側の業績不振で突然、解雇をいい渡された翌年に行方不明になってしまった。ひとづてに聞いたんだけど……理由はどうやら住民税と国民健康保険料がいちばんだったらしい。
 たまたま運悪く、彼は解雇から数ヶ月後、体調を崩した。とにかく身体がだるくて動くことがとても辛いという症状。ところが病院で診てもらうと異常なし。精密検査を勧められる。また、そんな職場だったから、経営者は失業保険なんて入っていない。無収入の彼は、なけなしの預金を切り崩して、病院を回る生活をしていたらしい。
 そこに役所からの督促。まずは健康保険料が払えないので相談にいく。なんとか、ド短期の保険証を発行してもらい、病院にいって、必死に立ち直ろうとしていた矢先、住民税部門が預金を差押え。家賃も払えなくなり、追い出された彼は、行方知れずである。

 ボクはなにも「住民税なんて払うな」といってるわけじゃない。自治体が住民サービスをするのには必要な税金だ。払うのが国民(住民)の義務である。でも、相手の状況をまったく斟酌せずに切り取るのはいかがなものか? といいたいだけだ。
 また、これが一般ビジネスなら「去年の分、今年に払え」なんて絶対、あり得ない話である! ともいいたい。そんな悠長なこと、普通は許されない。

 ……中略……

 こんな話もある。
 特定されるといけないので、どことはいわないけど――とある地方(田舎)で、年配の夫婦がつましく暮らしていた。先祖から引き継いだ古い家屋に住み、猫の額ほどの畑で口に糊をしていた。表通りからは遠く、路地を入ったところでの不便な生活だった。
 そんな折、行政の道路計画が持ちあがり、家の前面に広い道路が走ることになった。計画地の所有者には、それなりの保証金が支払われたが、道路が路地の手前までだったこともあり、夫婦にはなんの恩恵もなかった。むしろ、前を自動車が走るようになったため、空気が汚れて畑仕事が大変になったり、夜間も安眠できなくなったので、デメリットのほうがはるかに多い。

 ところがである。
 翌年、夫婦のもとに「びっくりするほどの税金」の請求が来たのだ。なんでも、前面道路ができたため評価額が跳ねあがったとのこと。
 それでも実直な夫婦は預金を切り崩して税金を支払っていた。しかし固定資産税は毎年のこと。やがて預金が底をつき、滞納がはじまる。それでも役場のひとは夫婦と顔見知りなので、状況を考慮して分納などで対応してくれていた。だけど分納といっても、減額ではないので、滞納額は増える一方だ。
 そうこうするうちに役場の親玉である市町村(どれかは、いわないでおくね)が、債権の取り立てを民間に委託したのだ。こうなると夫婦を思いやる立場にある役場のひとも、どうしようもない。
 あれよあれよという間に先祖からの土地家屋や財産(農機具や軽自動車)は競売にかけられ、ウソのような低価格(田舎の不便な土地が評価額どおりなんてことは、金輪際ないからね)で落札。その代金も取り立て業者が持っていき、夫婦は、ほぼ無一文でたたき出されたのである。つまり、身ぐるみはがれたのだ。

 ひどい話だとボクは思う。あなたもきっと、そう思ってくれるだろう。だって、この夫婦は、なにひとつ悪いことはしていない。一所懸命、真面目に――それも「超」がつくほど、つましく……生きてきただけである。もう、運が悪いレベルじゃない。「正直者がバカを見る」どころか「正直者が身ぐるみはがれる」の世界だ。
 だけど、これまた……法的にも、その手続き的にも、問題がない。合法なのだ。だから始末が悪い。だれも悪いヤツはいないのである。

 そういえば、こんなこともあった。
 こちらはボクが直接知っている社長の話である。仮にN社長としよう。このN社長、実直が服を着て歩いているような御仁。

 ……中略……

 そんな中、とあるプロジェクトがスタートすることになった。N社長にとっては新規事業だ。当然のことながら、スタート資金がいる。そこで取引先である○○信用組合の支店長に相談。N社長の実直な人柄を知る支店長は、融資自体は問題ないけれど、OKするのに条件をつけた。
「プロジェクトのスタートに関してのN社長がご要望の融資について、審査も終わり、融資部門の内諾を得ているが、いまひとつプッシュするための条件がほしい」
 と支店長。
「条件とは?」
 N社長が訊くと、
「社長の会社は当組合の組合員ではあるが、組合員として最低限の資格を満たしているに過ぎない。ご要望の金額を融資するには、組合金を積み増しして、融資適格とされる組合貢献ランクになっていただきたい」
 まあ、簡単にいうなら、さきに組合金の積み立てを増額しろということ。そうしたら条件をクリアできるので融資が実行可能となるわけである。そして支店長がいってきた積み増し額が融資金額の約一割という設定。融資希望額が数千万円だから、当然のことながら積み増し額は数百万円になる。

 ……中略……

 ところがである――。
 実行日の二週間(営業日としては一○日ほど)前になって、いきなり、なんと○○信用組合そのものが破綻したのだ。
 寝耳に水どころか、こちらは知り合いからのニュースで知るという始末。N社長は、あわてて飛んでいった。けれど支店は封鎖され、中に入ることもできない。支店長も電話には出ない状態。三日後にようやく連絡がついた時、支店長は「自分も知らされてなかった」の一点張りだった。そして連絡を絶つ。

 しばらく経って、債権者説明会の案内が届く。やっと事態を明らかにできると出かけていったN社長は青菜に塩状態で帰ってきた。なんでも説明会に○○信用組合関係者は姿を見せず、代わりに管財人である弁護士たちが一方的な通達をしただけとのこと。

 曰く――預金は基本的に保全されるが……組合金は一般企業の株式と同じ扱いになるので、一切、保証されないという。もちろん、N社長の会社の口座はゼロだ。すべてを引き出し、そのうえ、ほかから借り入れまでして組合金に充てたのだからね。
 さらに時間が経過して○○信用組合は、ほかに破綻した信用金庫などとっしょに大手銀行に吸収された。預金者保護という大義名分で、公的資金注入のお土産つきでね。まあ、名前も実体もなくなったけれど、内容としては強者仲間から救済されたわけ。

 反対にN社長は地獄の日々を過ごすことになった。
 まずは支払いができないので、従来のビジネスが継続できなくなる。すると家賃や経費も払えないので、事務所を追い出され、電話も止まる。営業車もリース会社が回収してしまう。八方塞がりだ。

 極めつけが税金。消費税や所得税、法人税が請求される。ビジネスができない状況で、生活もままならないN社長に払える道理がない。N社長は経緯を役人に説明する。しかし役人は「払うべき税金に該当する金額は、あらかじめ除けておいて……それ以外で組合金を段取りすべきでしょう」という。
 正しい。役人のいい分は正しいのだけど、実際問題として、そんなことができる零細企業って存在するのだろうか? とボクは思う。でもって、経理処理としては、そのお金はN社長個人への貸付金となる。

 ところが困ったことにN社長は実直で真面目を絵に描いたようなひと。また同時に誇り高いかたでもあった。そのため、これらの問題と真っ正面から取り組んだ。つまり「人生まで差し出してしまった」のである。

 ……中略……

 で、いまN社長は、どうしてるかというと……この世にはいない。心労と無理がたたり、倒れて入院。だけど、その時はすでに手遅れ状態。まだ六○歳の若さで逝去した。仕事人間だったので結婚が遅く、また奥さんを事故でなくしているため父子家庭で、ご子息はまだ中学生になったばかり。
 でも役所はそんなこと斟酌しない。未収金を回収するのに早速、口座を差押えだ。ご子息は無一文で親戚に引き取られていった。

 ひどい話だけど、これまた、法的にも手続き的にも、な~んの問題もない。だれも悪くないのである。強いていうなら、N社長の運が悪かったというしかないのだ。
 もっというなら(キツイ表現だけど)、強者有利の世の中で、弱者が下手にがんばった結果なのである。

 分かったかな。これらことは、この国の制度が「身ぐるみはがれる」システムになっているというしかないのだ。そして、そのシステムは強者が決めたルールによって運営されている。弱者への配慮はない。
 イヤだったら、強者の仲間になるしかない。
 でも、たいていのひとは「自由に自分なりに納得のいく人生を送りたい」と望んでいる。それは正しい。ボクだって、そうだ。しかし、こと経済に関しては、そうなっていないというのが実際なのだ。お金というシステムに関する基本設定である。

 じゃあ、どうする?

 自由を差し出して、お金を求めるのか?
 それとも自由を大切にして、お金にこだわらないように生きるか?

 の選択である。

 ボクは後者をチョイスしただけ。だから自由といえるのだ。立派な貧乏人として生きていく道を選んだわけ。するといきなり気楽になる。だって毎日、ガツガツしなくって済むんだもの。弱者は「お金がない!」のが普通なのである。

 こうすると面白いことが起こる。どうやら(ボクの勝手な判断だけど)お金という存在は女性みたいなのだ。
 こちらが追いかけると逃げるのだが、つれなくすると寄ってくるのである。かといって、シメシメと手を伸ばすと痛い目に遭う。距離感が大切なのだ。

 あくまでボクの場合だけど――たとえば「月末の家賃が足りないなあ……」と思っていると、その分の仕事が飛び込んでくる。いや、正確にいうなら、必要な額にちょっと足りないくらいのお金がもたらされるのだ。
 そして足りない分は、まあ、なんとかなる。昼メシを抜くとか、電車をやめて徒歩にするとか……考えようによっては、健康に寄与しながらの段取りだ(笑)。

 ……中略……

 もちろん、あなたが「自由を献上しても、お金」派だったら「ない話」かもしれないけどね(笑)。まあ……もし、そうだったら、ハナから本書を読んでいないか(爆笑)。

 いずれにしても「お金がない!」というのは普通のことであり、あたりまえなのだ。それを思い悩むことのほうが、おかしいことに気づこう。お金は必要な時に必要な分だけあったらオーライなのだ。
 いや、それどころか……そのお金で実現しようと思っていることが、お金ナシで実現できたなら、より素晴らしい。
 そう、所詮「お金って、そんなもの」なのである。

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 ちなみに(聞いた話したけど)自己破産をしても、税金に関しては免責にはならないそうだ。生きてるあいだは、ずっと追い込まれるらしい。
 まあ、それ(税金)を払うことで生活がままならない(社会権・生活権が侵害される)なら分納や猶予はしてくれる。でも帳消しにはならないという。
 だから、あの世に高飛び以外に逃れる術はない。

 分かったかい?
 最後の最後は、ぜ~んぶ強者に搾取されるように設定されているわけ。それも強者がつくったルールでね。いやだったら日本国民を辞める以外にない。
 かといってボクは、それがいいとか悪いとかといっているわけじゃない。ただ、そんな設定の世界にボクらは暮らしているといっているだけのこと。

 だから、そんな中で、あなたが気高く生きる方法をあなたが自分でチョイスするしかないといいたいわけさ。