この世は結果しか評価しない設定になっているのさ | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 人生の価値を機能主義に置く世の中――でも、あなたの本当の価値は、そんなことには左右されない。ただ「在る」だけで充分な価値が存在する。
 ところが機能主義の世間は、それだけでは満足せず、延長線上にある結果主義によって、あなたを苛むような設定になっている。つまり、あなたにいくら能力があっても、結果を出さないことには振り向いてもくれない。
 それで下手にあせったりすると、あなたは本源的な価値を見失ってしまう。そんな罠が仕掛けられているのが社会というダンジョンだ。

 引用――

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 この世の中は、そのまま結果主義の社会ともいえる。つまり途中経過は二の次で、結果オーライなら万事OKという判断だ。たしかにだれもが口先では「プロセスは、とても大切」「がんばることが重要」という。ボクはそれをことさら否定する気はない。
 だけど結果が伴わないプロセスは軽んぜられる。無視される。冷淡なようだが、これが現実だ。この世は、そんな風に設定されているのである。

 例えばビジネス活動で、いちばん重要とされる営業――
 Aのセールスマンは、日ごろから緻密な営業計画を立て、自分を律し、日々の活動に邁進している。でも、なかなか成績があがらない。かたやBのセールスマン。親の七光りで入社し、普段はサボって、ろくすっぽ営業をしない。ところが締め切り直前になると、親の縁故なんかに電話を数本。するとノルマ以上の売り上げを達成する。
 会社は、どちらを評価する? 当然ながら後者のBである。卑怯であろうが、なんであろうが……売り上げをあげたヤツが営業ではエライのだ。くやしかったら、そんな親の元に生まれてみろ! ってことである。法に触れない限り、どんな手を使っても、なんでもアリなのが、この世間なのだ。

 ほら、思い出してほしい。話題騒然で社会現象にもなり、映画が三本もつくられた小惑星探査機「はやぶさ」なんて、その典型である。小惑星「イトカワ」観測のため打ち上げられた「はやぶさ」は数々のトラブルに見舞われ、地球帰還が絶望視された。
 その後、紆余曲折を経て「はやぶさ」は地球に帰還するのだが――その辺りの経緯については、あなたもご存知のことだろう。
 ところがである。まだ「はやぶさ」が地球への帰還の途にあり、帰還そのものが不安されていたころ……当時の政府では事業仕分けでは、必殺仕分け人と呼ばれた枝野・蓮舫コンビによって、次世代機開発を含む事業予算をばっさりと斬り捨てられていたのだ。
 なのに帰還するやいなや、ころりと手のひらを返して「国民のさまざまな声は次期予算編成に当然反映されるべき(蓮舫行政刷新担当相――当時)」と相成ったのである。
 もしこれが帰還できなかったら、やっぱりアウトだったろうことは想像に難くない。たまたま奇跡的に帰還し、カプセルに「イトカワ」の粒子が入っていたから、一躍にして厚遇となったに過ぎない。
 世の中って、そんなもんなんだ。

 ……中略……

 そういえば女子サッカーの「なでしこジャパン」も世間は大騒ぎだったなあ。でもって「優勝までの軌跡」なんて特番が組まれる。それを見ると「逆境で苦労しながら一所懸命に日々の研鑽を積んで栄光を勝ち取った」という定番のスタイルになっている。
 これが「いっこうに成績があがらない女子サッカーチーム」だったら、だれも振り向かない。よしんば報道されても「よう、がんばるねえ。好きやねんなあ」の世界だ。哀しいけれど、それが世間の評価というものである。

 ただ別の要素があればスポットライトが当たることもある。典型的なところでは、元女子ビーチバレーの浅尾美和選手なんかがそう。彼女は「ビーチの妖精」と呼ばれるほどの美貌の持ち主。だけど「なでしこジャパン」の面々は残念ながらそうじゃない。はつらつとして気持ちいい存在かも知れないけど、けっして別嬪ではないだろう。元キャプテンの澤穂希選手なんかは、むしろ「男前」とボクは呼びたいくらいだ。
 しかし、別嬪の佐々木希や可愛い美馬怜子、コケティッシュな藤井リナ、キュートな石原さとみ……あたり(ボクの勝手な好みと評価だけど――笑)が女子サッカーに参戦したら、弱小チームでも絶対に話題になるって。
 まあ、ライトの当たってるポイントがちがうけど……ね。

 だからね。ことほどさように――さかのぼって努力にスポットライトが当たるのは、先に結果があるからなんだ。いくら努力したところで、結果を出さないと振り向いてもくれない。さらに連続(継続)させないと、すぐに忘れ去られる。これが世間なのだよ。

 もちろんボクはけっして、日々の努力を軽視するつもりはない。それがないと栄光もないことは分かっている。でもそれは、あなた側のことであって、世の中の設定とは、なんの関係もない。
 まず、世間が求めるのは結果――そのうえで経過や努力が美談となる。

 ……中略……

 さきほど述べたセールスマンのAとB。生まれがちがうだけで、天地の差がある。どう考えても不公平だ。だってハナからの差別があって、努力でどうなるものでもない。
 こういうと、あなたは「じゃあ、セールスマンAが努力を重ねて成功したらどうなんだ?」というかもしれない。うん、それはそれで素晴らしいことだ。ブラボーである。だって結果を出したんだからね。
 でもある時、セールスマンBが「ハタッ」と気づいて、努力をはじめたとしたら……やっぱり、Aが追い抜くのはむつかしいだろう。

 ……中略……

 つまり良家(強者)に生まれたBのほうが、庶民(弱者)に生まれたAより、ハナから優位にあるということ。ほれ「子どもの学力は、親の経済力次第」っていうだろ。これは紛れもない現実なんだよ。

 ……中略……

 ほれ「ひきこもり」が社会問題となったりしている。だけど、ひきこもれるというのは環境が整っているからだ。ひきこもっていても生活できるから、ひきこもれるのである。
 弱者である貧乏人が、ひきこもると――やがて、電気・ガス・水道・電話が止められ、家賃滞納で部屋から引きづり出されて、ポイッとされるのだ。まあ、そのあと道路なんかで行き倒れになっているのをだれかが通報してくれたら助かって施設送りになれるかも知れないけど、そうでなければ野垂れ死に確定である。
 分かった? この「ひきこもり」というのは、けっこう贅沢なライフスタイルなんだよ。その証拠に東アフリカや中東の難民に「ひきこもり」はないだろう。

 こう考えてくると、この世は不公平だらけ。み~んな不公平でできているのだ。
 なぜか? もうお分かりだろう――ゲームがそんな設定になっているのである。さらに個人設定にしても同じだ。不公平になっているのである。

 どうしてだろう?

 そう、それがそのひとのチョイスだったからに過ぎない。
 あるひとが貧乏で病気で不細工で低能で口が臭いのは、そのひとが人生ゲームでそんなキャラを選んだからなのだ。
 きっと前世(あるとして)では、あまりにも金持ちで頑健で端正で天才でフェロモン満点だったので、なにごともうまくいきすぎて面白くなかったため、今生はハンディキャップだらけの設定にしたんだろうなあ。

 ……中略……

 このように人生ゲームの中では――あなたが、生き甲斐を持っても持たなくても「あなたは、あなた」なんだ。だから持ちたければ持てばいい。持たないからといって「あなたは、なんら損なわれることはない」のである。

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 分かったかな。この世はハナから不公平に設定されているのだよ。でもって、その不公平をチョイスしたのも、あなた自身ということ。
 だから、そのうえで「あなたが、どんな風にこのダンジョンをクリアするか?」ということが大切なんだ。いいかい、本当の意味で「あなたを適性に評価できるのは、あなたしかいない」のである。