仏法談義10――そうだ、正義の味方になろう! | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 このところ、わりと年配のひとから相談を受けることが多い。
 内容は共通していて――「残りの人生、やり残したことは?」というもの。
 そんなのを訊かれても、ひとそれぞれだし、そのかたの人生の課題をボクが知る由もない。ましてや、人生の先輩がた……なにかと気を使って、踏み込めないこともある。

 ずっとサラリーマンや主婦をやってきて、ようやく自分の時間を持てたら、なにをやったらいいか分からない。にもかかわらず、人生の残りのほうが少ない。
 さあ、どうする?
 あせってしまうのも分からないでもない。

 とりあえず……というので、色んなところに顔を出し、余計に訳分からん状態になってらっしゃる。
 まあ、カルチャー教室などはマシなほうで、若者に混じって自己実現講座なんかにハマって、支離滅裂というのも少なくない。さらに焦燥感が高じて、パチモンの新興宗教に走っている場合もある。
 つまり相談といいながら、自己の存在感を確認したいのだ。

 たしかに最近――自己実現だとか自己啓発というのが花盛りだ。コーチングにメンタリング、フレーミング……云々。けっして悪いものではないが、
 なぜ、そうするのか?
 なぜ、学ぶのか?
 が、明確でないとラビリンス(迷宮)でさまようことになる。

 ボクは思う。
 ひとは元来、怠け者である。「自分自身のためにがんばる」なんていうと、なかなかパワーが湧いてこない。
 ボクなんか――「うん、がんばる……明日から」って感じで、その明日は、ずっと明日になってしまう。

 ところが、自分の大切なひとや愛する存在のためなら、俄然、やる気満々となってしまう。しかし「いくら愛する存在のために!」といっても、自分に能力がないと、いかんともしがたい。

 そこでボクは仏法の話をする。
 仏道修行ですることは、究極的には、ふたつだ。知慧と慈悲の開発実践――この行である。
 知慧とは自分を磨くこと。つまり、がんばって能力を高めることだ。
 なぜ、そうするのか?
 というと慈悲を発揮するためである。
 慈悲とは大切なひとの役に立つことである。この大切なひとを全人類まで広げたのが、お釈迦さまであり、生まれたのが仏法だ。
 かといって、全人類のためなんていっても、あまりにも漠然とし過ぎている。ボクたち凡人にはピンと来ない。だからボクは、相談者に対して、
「愛する子どもや孫のために残りの人生をお使いなさい」
 とアドバイスするようにしている。
 みんな「?」って表情になるが、
「あなたが、お孫さんの正義の味方におなりなさい」
 というと顔に生気が宿るのだ。

 ひとは愛する存在に奉仕するために生きている!
 その能力を体得することが、自己向上であり、人生修行なのだ。

 そう、仏道修行は、あなたを正義の味方にしてくれるのである。