言葉というもの | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 ここではテーマ・タイトルに沿って「魔法の言霊」について話していこうと思っている。それで前回は人生の捉えかたとして、生きてることが楽しくなるよう「人生はゲーム」という話をした。


 さて今回は、言霊の母体となる「言葉」について解説しよう。えっ「早く、魔法と言霊の使いかたについて教えろ!」って? 残念。それについては次回以降だ。なにごとも基本を理解しておかないと身体を壊す危険がある。どうしても――というかたは、ボクの著書を求めてほしい。


 言葉――日ごろ、なに気なく使っているけど……ことさらに「その存在」そのものに注意を払うことは少ないだろう。にもかかわらず、たった「ひと言」が人生を変えてしまうといった事態も生じさせる重要な役割を果たすこともある。


 まずは、この「言葉」という存在について考えるため、ボクの著書『魔法の言霊(東方出版刊)』から、その部分を引用してみよう。


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 言葉――不思議な存在だ。だれもがあたりまえのように使っているにもかかわらず、この言葉そのものの力を考えることは滅多にない。それは普段の会話だけでなく、いま、あなたが読んでいる文章も、ボクの言葉を文字に置き換えたものだ。


 ……中略……


 ここで少しだけ「言葉」というものについて掘り下げて考えてみよう。
 あなたが小学生か中学生だったころ、人類がほかの動物とちがう差別化のポイントを習ったことを憶えているだろうか? 直立歩行をする、火を使う、高度な道具をつくりだして使う……そして「言葉によるコミュニケーションをおこなう」だ。


 ……中略……


 この時に重要なのが文字という記号の組み合わせで表現された言葉によって「名前」が生まれるという点だ。
 例えば犬――そう動物の犬だ。この犬という言葉によって、あなたの意識の中にさまざまなイメージが生まれる。それが記号のシステムだ。
 十九世紀の後半、スイスのジュネーブ大学のフェルデナン・ド・ソシュールという言語学者が記号論というのを唱え、言語学に多大な影響を与えた。

 彼の論によると、ここで犬って表現されているのは、犬という記号とそれが示す実際の犬ということになり、それが結びついたものが言葉ということになる。犬という記号をシニフィアン(能記)といい、犬そのものがシニフィエ(所記)と呼んだ。つまり書いた言葉、とりわけ名前というのは、このシニフィアンとシニフィエの合体となる。ところがシニフィアンから、あなたが想像するのは四つ足のワンワンという犬だけでなく、その特性――かわいい、賢い、従順、さらには猫みたいに気まぐれじゃない……なんてことにまで思いは広がる。シニフィエにしても、柴犬、秋田犬、シェパード、ハスキー、コーギー、パピヨン、レトリバー、ドーベルマンにチャウチャウ……と数えあげたらきりがない。

 でも大事なことは、犬が、牛や馬や猫やキリンやライオンと区別されてればいいわけ。コリーであってもチンであってもビーグルであってもいいわけだ。つまり、ほかのけものとの差異が認識できれば、犬は犬ということになる。


 ……中略……


 つぎに実際に犬という言葉を「イヌ」と発音したとしよう。これをソシュールはパロール(発話)と呼び、発話される言語のほうをラングと呼んだ。このラングは社会の常識や制度と密接に結びついていて、その時代や社会に合わせた使いかたをしないと大変なことになる。

 例えば「きさま」という言葉。これは「貴様」で、もともとは目上のひとに対する丁寧語だったのだけど、いまでは主にひとを罵倒する時に使われる。


 ……中略……


 このようにラングは、あなたの暮らす時代や社会との関係の中で、その意味を変化させ得る存在であることを認識する必要がある。とりわけ、あなたが書き言葉(手紙や文書、電子メールなど)の中で言霊を送信しようとする時には大切な注意事項だ。


 最後に残ったパロール――これは話している音声を周波数とか強弱、声音(こわね)などといった見方で研究する音声学のカテゴリーに属すとソシュールは切り離してしまった。そんなものは偶発的なものであるから記号のシステムには不確実な要素として排除すべきであるという考えかただ。
 でも、そののち詩を研究して「情報は美である」という名言で知られる旧ソ連のユーリイ・ロトマンという学者は『造型的形象の体系』という理論で、書かれた言葉や文章が美しくないといけないといった。つまり字面(じづら)や文字のない空間である白場(しろば)のバランスまで注意が必要ってこと。


 ……中略……


 さらにロトマンは『韻律の体系』とか『音素の体系』とかいう理論で、実際に発音される時のことまで考慮して言葉は用意されないといけないと考えた。


 さて、賢明なるあなたは、もうお分かりと思うが、本書のテーマである「魔法の言霊」で重要なのはパロールである。ただし、発声・発語の技術的なものだけでなく、その背景にある心象や意識、意図をあなたがしっかり認識していないといけない。

 例えば「バカ」という言葉。通常に使えば、相手をののしる言葉である。ケンカを売るには最適の言葉だ。でも、上司がかわいがっている部下に「バカ」という時の意味は「分かった。おまえの尻拭きはしてやる」かも知れない。恋人どうしで、彼女が彼にその言葉を使う時は「好きよ、愛してる」かも「あたしからおねだりしにくいわ、そろそろHしましょ」かも知れないのだ。


 ……中略……


 でも、パロール込められる思いは、人間が本源的に有する……種としてのバイブレーションであるため、だれものこころに響く。この込められる思いを「霊(たま)」と呼び、パロールとの合体で「言霊」が構成される。もちろんラングに対して注意を払うことは重要ではあるが、その言葉に込められた思いは「言霊」において、さらに重要である。こうして「言葉」は「言霊」に変身を遂げ、その魔力を発揮するようになる。


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 これが言葉という存在の属性や機能を理解する基本部分である。

 ただボクは、そののち、言葉に対する勉強を深めていく中で「言葉には、とんでもない拘束が存在する」ことに気づいた。それは言葉の発生の過程から、致しかたないことなのだが、あなたが言葉――そのアクティブ型である言霊……を使う時にも注意を払う必要がある。こちらは老舗の経営コンサルティング情報誌の月刊『企業診断』に連載したコラム「存在意義のストラテジー」から当該部分を引用してみる。


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 ひとは言葉を話す。コミュニケーションの核となるのも、やはり言葉である。ところがひとは、この言葉そのものについて省みることは少ない。

 簡単に説明しよう。言葉というものは、人類が獲得した最高の道具だ。種のサバイバルを強力に支援してきた武器なのである。生物学的な属性でいうなら、ライオンの牙やゾウの鼻と同じなのだ。人類は言葉という武器を獲得したからこそ、円滑なコミュニケーションができ、文化や文明を発達させ、地球の王として君臨できたわけ。

 また、言葉は名前でできている。モノの名前が名詞で、動作の名前が動詞。状態の名前を表すのが形容詞や副詞だ。この名前の組み合わせで、ひとはいいたいことをいえ、それを相手に伝えることができるわけだ。つまり道具なのである。そして道具である限り、それは限定を持つ。ライオンの牙が狩りには適しても、子どもの世話には邪魔になるところがあるように、言葉の用途にも限界があるのだ。さらに、この用途を設定したのは、われわれの先祖である。だから言葉という存在は、もっとも原始的で、もっとも進化していない道具であるという認識が大切なんだよ。

 ところが言葉は発声することによって伝わるという性質を持つ。よしんば黙読であったとしても、頭のなかで発声している。そうなんだ。言葉は発声されることで立ちあがり、その機能を発揮する。位置エネルギーが運動エネルギーに変換されるわけ。そのため古くは「言波」の字を充て――このあたりのことは拙書『魔法の繁盛錬金術(同友館刊)』に詳しいので参照してほしい――その波動を重要視した。そう、意識波動の伝わりだ。
 ここがポイントである。レゾナンスは、いってしまえば「波動による共鳴」だ。この意識波動なくして、いかなるタクティクスも機能しない。


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 また別の号には――


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 でも、その前に――ちょっとだけ、言葉という道具の発生……必要性の起源について考察してみたい。原始的な意味の分析だ。

 筑波大学の西田正規教授によると――熱帯森林に棲息していたといわれる人類の祖先が身を隠せる樹木がないサバンナなどに移住を開始した時、敵を追い払うため、木の棒を振り回し、石を投げることで自分や家族を護ったらしい。道具の登場である。

 ところが、この道具。敵だけでなく、同種族にも有効な殺傷能力のある武器となる。テリトリー争い、食物の争奪、メスの取り合い……などの緊張が極限まで高じた時、いとも簡単に相手を殺傷できる。さらに投石などでは、それまでの肉弾戦とちがい、かなりの間合いでも、それは可能だ。すると、緊張感を持つお互いが一定の距離になるまでに、あらかじめ「敵意はないよ」「大丈夫だよ」とのサインを交換する必要が発生する。そのサインの道具として言葉が生まれたというのが教授の論である。

 この、お互いに殺し合うことがないこと確認する言葉を「安全保障の言語」と西田教授は呼ぶ。ここから言葉は分化し、進化して「仕事をする言語」を生む。しかし、現代社会においては「仕事の言語」が圧倒的優位に立ち「安全保障の言語」は駆逐されているといってもいい状況だ。

 もちろん現代社会で、ひととひとが出会って、いきなり殺し合いをするようなことはないから、その話す内容は意味を持つ言語=仕事の言語でかまわないのだが、お互いの存在をただ確認し合う潤滑油となるコミュニケーションが枯渇しているといえる。

 ボクは大阪弁を使うが、ここには存在意義を確認し合う「安全保障の言語」の発展型ともいえる「無意味で必要な言語」が残っている。知り合いが道で偶然出会ったとしよう。



「おお、まいど。ひさしぶりやな。どないぐあいや?」
「まあまあ、やっとるで。で、どこいくん?」
「いやあ。これがあれで、ちょっとそこまでや」
「そうかあ、ええなあ。こんどまた、一杯やろや」
「せやな、連絡するわ」
「ほな。気い、つけてな」
「おおきにい」

 この会話で意味のある部分はまったくないといっていいだろう。また飲み会の誘いが来ることもあり得ない。にもかかわらず、ふたりは親密度を確認し合ったことで、すこぶる満足しているわけ。つまり、いい気分なのだ。


 なぜボクが、こんな話をしたのか、あなたならもう、お分かりだろう。
 そうなのだ。第9回でも述べたように「言葉は人類におけるもっとも原始的な道具」ということ。うまくいく経営トップは、言葉の最も根源的な属性である「安全保障の言語」としての使いかたが上手なのだ。言い換えるなら、お互いの存在意義を確認する方向で言葉を使う。


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 分かったかな。言葉というものは「人類の獲得したもっとも原始的な道具」であり「もっとも進化していない道具」であるということ。そもそもの存在意義は「相互の存在確認」からスタートしたわけ。


 そんな道具に過ぎないため「用途があり、限定を持つ」といった属性がある。これからは、このことをしっかりと認識した上で言葉を使うと、あなたの「言葉遣い」は劇的に向上するだろう。そして(魔法の)言霊は、その延長線上に存在する。