危険な言霊――ありがとう | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 ここでは「魔法の言霊」のノウハウについて開示していく。

 でも、その前に……巷(ちまた)にあふれる危険な解釈についての注意を喚起しておきたいので、まずは代表格「ありがとう」について解説しておこう。


 世間には「どんなことがあっても、いつも『ありがとう』といっておきましょう」という危険な活動が存在する。このこと自体には別段、問題がないように思える。
 たしかにボクも「ありがとう」を感謝の言霊と位置づけ、高く評価している。著書にも、そのように掲載している。がしかし、それには絶対に「感謝」が必須であることを忘れてはいけない。

 しかし、ほとんどの場合「悪いことがあっても『ありがとう』といっておけばいい」だとか「いまは良くなかっても『ありがとう』といえば良くなる」といった安易な解釈で「ありがとう」を使っている。これは極めて危険だ。

 その証拠に「ありがとう」活動をしている大半のひとが、正直いえば、ありがたくない状況にある。そして、なんとか苦境を脱出しようと、さらに「ありがとう」を発する。いうなれば「ありがとう地獄スパイラル」にあるのだ。


 なぜか?
 それは、ありがたくないのに「ありがとう」といっているからである。そこに心底からの感謝はない。つまり、こころの中を覗くと「悪いことが起きた。いまは、ありがたくないけど『ありがとう』といっておけば将来、ありがたいことがあるぞ」という欲望表現として使っているのだ。もっというなら、いじましいエゴの叫び以外のなにものでもない。そらあ当然、ありがたくない状況に陥るのが道理である。


 どうして、こんなことになるのか?
 この「ありがとう」すなわち「ありがたい状況」というのは主語を採るのだ。それも、たいていが自分――「あたしが、ありがたい」「ボクが、ありがたい」であって、ほかのひとは関係ない。ほかのひとは、ありがたくなかっても構わないのである。
 極端な話――だれかのミスで、自分が利益を得ても「ありがたい」のである。自分が「ありがたい状態になりたいからミスをしろ」と願う。これをエゴの叫びといわずして、なんというのだ!


 ということから「ありがとう」を未来に向かって発するのは問題ありだ。だから原則的には「コーヒーを淹れてくれて、ありがとう」「車を貸してくれて、ありがとう」「ご馳走になって、ありがとう」と過去に向かって使う言葉なのである。そしてなにより、素直に感謝できることに使うことだ。


 こういうと「いつも『ありがとう』を実践して、本当にありがたい状況のひとがいる」との反論があるかも知れない。ちがう。そのかたは本気で、起こったことに対して「ありがとう」と感謝しているのだよ。
 でも、こんなひとは稀有(まれ)である。ある意味、聖人だ。ボクたち凡人には、なかなかマネができるものじゃない。うわべだけマネをしても、うまくいく筈がないじゃないか。


 なのでボクたち凡人は、本当に感謝できることだけに「ありがとう」を使うほうが賢明といえるだろう。