「魔法の言霊」って? | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。


魔法の言霊


 人間の知覚の八割までもが視覚によるといわれる。
 ……<中略>……
 八割の知覚である眼で見て分かる……つまり、視覚から認識するためには「光」が必要だ。そして、この光にも偉大なる生みの親がいる。それが「言霊(ことだま)」だ。


 むかしむかし、気の遠くなるくらいむかし、宇宙は真っ暗闇で混沌としていた。
 突然、神さまの声が響いた――「光あれ!」と。すると光が生まれ、宇宙での進化と生成がはじまった。そしていまでも、その谺(こだま)が宇宙を満たしている。



 これはボクの著書『魔法の言霊(東方出版刊、ISBN4-88591-786-7)』の冒頭部分だ。そして本編は「魔法の言霊」自体の解説と相成る。
 上梓してもらったのが平成14年(2002年)6月だから、もうかれこれ12年近い年月が流れたことになる。本書は大好評を博し、同出版社の年間を通してのロングセラーを記録し、翌年の平成15年7月には続編の『魔法の言霊Ⅱ(ISBN4-88591-850-2)』を刊行してもらった。



魔法の言霊2


 こちらの冒頭は――


 だれだって魔法使いにあこがれる時がある。彼(彼女)を振り向かせたい。仕事をうまくやりたい。素敵なひとになりたい。いい人間関係をつくりたい……動機はさまざまだけど、こんな時「魔法がつかえたらなあ……」と思う。

 でも、たいていのひとは、そこで考えが停止してしまう。本気で「魔法使いになってやろう!」と決意するひとはほとんどいない。結局「あ~あ、魔法使いなんて、おとぎの世界の話だよねえ……わたしには関係ない」と、現実世界の哀しい自分をはかなむのだ。



 と、魔法(の言霊)使いになるためのノウハウを詰め込んだ。おかげさまでボクは「言霊のおっちゃん」として表舞台にデビューができ、セミナーや講演で引っぱりだこ状態。忙しい日々を送っていた。


 ところがである。
 ボクの言霊がアカシックレコード(空間の記憶貯蔵庫)に響いたのか――世に「魔法の……」だとか「言霊」「音霊」「言葉」「ことのは」といったキーワードを持つ図書が数多く出版されたり、テレビなどの番組がつくられたり、時を同じくして広まったインターネットで扱われるようになったりで……すっかり一般的になってしまった。


 すると、もの珍しさが薄れたボクも、次第に時のひとでなくなり、お呼びが掛かることも少なくなる。まあ、いまひとつの専門であるビジネスカウンセラーとしての仕事は継続していたけどね。

 当然のこと、スケジュールには、けっこう空白ができた。さらにボクのマネージメントをしていてくれたかたが逝去。もっとスケジュールには白場が増える。


 でも、こうなってみてボクは初めて気づいたんだけど、この空白――すなわち自由時間というのは、まさしく「黄金の時」ということ。なにかをしたければすればいいし、したくなければしなくていい。魂魄(たましい)に栄養を採れる時間だ。


 そこでボクは原点回帰。いまいちど「魔法の言霊」に戻ってみた。
 世に氾濫する類似(のような)書籍に眼を通し、ちょっとしたセミナーにも顔を出し、インターネットの情報にもあたってみる……

 結果、いえることは――素晴らしい内容もあれば、これでは生活者(読者)を誤誘導してしまうと危惧する内容もあり、それこそ玉石混淆なのだ。
 そして、すべてに共通する問題は「あなた次第」という逃げを打っている点である。言い換えれば、責任感と覚悟が足りないのだ。これはマズイ。


 ボクは「魔法の言霊」に絶対的な自信を持っている。しかし同時にボクだって完璧とはほど遠い生身の人間だ。伝えかたのマズさや表現の稚拙さはヤマモリである。

 ここ10年弱、必死のパッチで研究し、試行錯誤をくり返した。そして、ようやく究極の言霊ともいえる「寿詞(よごと――内容は、おいおい解説していく)」を発見。見事に「魔法の言霊」のバージョンアップができたわけ。


 ここでは全責任をボクが負うという覚悟で、ある意味、説法をおこなっていきたいと思っている。


 乞う、ご期待 (^_^)v