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少林寺拳法6つの特徴

の2つ目『力愛不二』について書きます。


力とは、愛とは

拳禅一如と同様、力愛不二は「力と愛は不ニである」という意味の熟語です。少林寺拳法の造語ですね。


力とは、広い意味でのいろんな力を表すのだと捉えています。狭い意味では腕力・武力と言った力だと思いますが、広くは経済力・政治力・統率力・学力など、その人が他者に秀でて持っている能力全般を指すと私はイメージしています。


愛は少林寺拳法では「慈悲心」を指します。「慈悲」を掘り下げると抜苦与楽といった仏教のお話になってきますが、少林寺拳法の学科としては「思いやり」「不正を憎む気持ち」「反省したら許してあげる気持ち」と思うと良いと考えています。「想像力を持って人と接すること」なんて詩的な表現をされた拳士もいます。良い表現だなと思ってます。


不二とは

力愛不二の前に「不ニ」の話をさせてください。


拳禅一如は「一如」でした。「一如」と「不ニ」は何が違うのでしょうか。


不ニは「異なる二つのものだが、一つではその意味を十分に発揮しないもの」です。


例えば男と女というものは、それぞれ独立して存在しています。ですが、その調和によって子どもが生まれ、世代が繋がる。そうでなければ100年もしたら人類は滅亡してしまう。そういうものです、


一如が「切り離せないもの」だったのに対して、不ニは切り離せるが、単体では十分に機能しないという点が異なります。


力愛不二とは

パワハラなんて言葉があります。


パワーを持った人が、持たざるものに対して嫌がらせを行うことですが、これは愛(慈悲心)がなかったから起きることなのかと思います。


逆に、思いやりの心は十分あったとしても、その人が何の行動にも出ない、思ってるだけ、それって何の意味があんの?という話になる。


力を持つ人が思いやりの心を持って行動する。そういう人間を目指そうというのが力愛不二です。


有名なフレーズ

力愛不二を代表する言葉があります。


これは拳士としては覚えておかないといけません。


力のない正義は無力であり、正義のない力は暴力である


拳禅一如の修行を通して、力愛不二の人間を目指すのが少林寺拳法です。


力愛不二を目指す気持ちを失って「(広い意味で)強くなくても良い」となったり「俺だけが強ければ良い」となるのは少林寺拳法の在り方からはいかがなものかと思います。




画像について(余談)


冒頭の画像はネットで「力愛不二」の良い画像ないかなと思ったら出てきた画像。人様のブログの画像を勝手に使うのはダメだ!と思いましたが我らが我孫子道院のブログだったので拝借しました🙏(怒られたら変えます😊)




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