10月1日、達磨祭を執り行いました。
達磨祭は、禅の祖師、達磨大師の命日(10月5日)の前後に、
達磨大師を礼拝し、その遺徳を偲ぶと共に、拳士一人ひとりがいっそう拳禅一如の修行に精進し、
「達磨の子」として七転び八起き、不撓不屈の精神と本当の強さとやさしさを身につけることを互いに誓い合う行事です。
少林寺拳法の開祖 宗道臣先生は、法話のなかで、
「達磨さんは、堅苦しい人ではない。
子供のおもちゃにもなられれば、街の料理屋や駄菓子屋の屋号にもなられる。ふしだらな芸者はだるま芸者という。この頃は、選挙必勝の道具にまで使われる。
これほどみんなから親しまれ愛されているのは、本当に悟られた大きなお方だからだ。
その達磨さんが宗門の行として、護身練胆の法術として立派な人格を作るのに役立てようと考案されたのが、少林寺に伝わる拳法だ。
諸君は、正義と人道を重んじる人間となり、活人拳としてこの拳法を学べ」と語られている。
これほど広く愛されているという意味では、ダルマこそ元祖ゆるキャラといえると思うが、一方でダルマの顔の表情は険しく、カワイイキャラとは言い難い。
(小六のT・O君が、修学旅行先の日光で作ってきてくれたダルマのお面)
それでもこれだけ親しまれているのは、厳しいけれど慈悲深い、力愛不二の実践者だったからに違いない。
そんな達磨大師は、インドから中国に渡る前、すでに釈尊より二十八代目の法統を受け継いでいたが、中国で南朝梁の武帝に接見した際、武帝の怒りに触れ、追放されて河南省嵩山少林寺に逃れたとされる。
そして、嵩山で面壁九年の修行を積んで、禅宗の祖師になられた。
つまり、かの達磨大師でも、武帝と接見した時点では、まだ悟りの境地にいたっておらず、その後九年もかけて大悟したともいえるのではないだろうか。
もっというと、達磨大師でも武帝との接見は失敗している……
しかし、その失敗から七転び八起き、不撓不屈の精神で立ち上がったことこそ、肝要なところだと思われる。
(一部の天才を除き)はじめから完成している人はいない。
修行を重ね、平凡な領域から、非凡な領域に達するのが、
いわゆる「達人」になるということ!
そのプロセスこそ、拳士が手本とするところで、達磨を奉る大きな理由のひとつになっている。
達磨大師は九年。
そして宮本武蔵も
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」
(「鍛」は基礎が定着するということ、「錬」は一つの道として揺るぎなく完成すること)
と言い残しているぐらいなので、我々も1クール10年ぐらいの単位で、まさに不撓不屈の精神で、肚腰据えて修行に臨み、みんなで一緒に「達人」を目指しましょう!
そんなことを誓い合ったのが、今年の達磨祭でした~。
(ダルマになったつもりで、七回転がり八回起き上がる、通称「ダルマ受身」)
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『109』