「さようなら」は、「左様であるならば……」(拳士の旅立ち) | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

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我孫子道院 道院長のブログ

今日は、東京で桜が開花したそうですが、

地元の小中学校は、昨日が修了式で、春休みに突入


そんな昨日の稽古を最後に、遠方に引っ越していく拳士が2名いました……




ひとりは小学2年生・六級のT・Iクン

すごくまじめで明るく、少林寺拳法が大好きという少年

(実技はもちろん、鎮魂行の主座をやるのが大好き)

しかし、T・Iクンが引っ越していくG県北部には、少林寺拳法の道院・支部がないそうで……

最寄りの道場でも、クルマで1時間ほどかかるそうですが、

週に一度ぐらいなら通えるかも(!?)とのことでした

とても熱心な、将来有望な拳士なので、稽古の頻度は減ったとしても、無理のない範囲で続けてくれればうれしいです

(夏休み等、我孫子に帰省してくることがあれば、我孫子道院でも稽古しましょうね)





もうひとりは、人気者(?)の高校生拳士、C・S君(三級)

Cちゃんは、高校三年生でしたが、現役で京都の某大学に合格したので、

四月から京都で一人暮らしをすることになり、今週木曜日が引っ越しとのこと

大学生の先輩拳士を中心に、社会人拳士にもかわいがられていた存在だったので、

さみしくなります


はじめてのひとり暮らし、いろいろ戸惑うこともあるでしょうが、

だからこそ、少林寺拳法第二の本場(?)、京都の地でも少林寺拳法を続けてください

(ワタシが個人的にお世話になっている、K極道院のT先生には、それとなく伝えてありますので、引っ越しの片付けが一段落したら、K極道院に一度はご挨拶に行くように!)

少なくとも、有段者になるまでは続けるんだよ


Cちゃんも、夏休み等に帰省してきたときは、道衣持参で我孫子道院に帰ってきて、一回り逞しくなった姿を見せてください



それまで、ひとまず「さようなら……」


モノの本によると、この「さよなら」は、「さようであるならば」という、「前の事柄を受けて、次に新しい行動・判断を起こそうとするときに使う」接続語から変化したものだそうです


「左様であるなら」=「そうならなければならないなら」その運命をいったん静かに受け入れる

でも「だからこそ、また会いましょう」という希望を伝える言葉だそうです


つまり、英語のSee you Againや、中国語の“再見”(ツァィ チェン)にも通じるとともに、もっと深い意味もこもっている、とても日本語らしい別れの挨拶なんですね


そういうわけで「さようなら~」



◆オマケ◆

上記のC・S君、

先週、自動車教習所も卒業し、昨日は免許センターで最後の学科試験を受験しました

ちょうど大学二年の先輩拳士、M・I君も教習所を卒業後、まだ学科試験を受けていなかったので、

昨日、二人で仲良く流山の免許センターに出かけて、無事、免許証を手にすることができました

せっかくなので、その喜びの1コマを




喜びに水を差すようで恐縮だが、

ドライビングの道は、武道の極意を極めるのに匹敵するほど奥深いぞ~

なにせ1トン以上の質量があるクルマが、高速で移動(運動)するわけだから


人の命がかかっている点でも武道と共通点があるが、責任の重さは……


念願の免許証を手に入れたといっても、

免許皆伝どころか、やっとジャージ姿から、道衣+白帯になれたといったところ


拳法同様、

能々吟味し鍛錬有るべきもの也



本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『102』