指導力と「弟子力」 | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

前回のブログで、「力愛不二の力とはどんな力?」 という話をしたので、

ちょっとだけ関連したことを追記します


拳士ならご存知の通り、少林寺拳法は人づくりの行であり、

周囲の人々にいい影響を与えられる指導者、リーダーの育成を目的に掲げています


したがって、少林寺拳法では入門したその日が、指導者としての第一歩であるとさえ言われています


というわけで、段位や級位を問わず、後輩ができたら指導者の自覚、少なくとも「自分は指導者の卵なんだ」という自覚をもって、技法と教えを吸収、磨き上げるとともに、身につけた技法や知見は、気前よく、後進に伝えていきましょう


「自分はまだまだ、人に教えられるレベルではありません」

という方も多いでしょうが、むしろそういう人ほど、積極的に指導にかかわってみることをおすすめします


なぜか?


それは、経験が浅い人ほど、人に教えると自分の中身が空っぽになるからです

空っぽになると、体内と脳内が真空に近くなり、その負圧で、技術や教えが

教わりっぱなしのときよりも、数倍吸収がよくなるからです

(これホント)


それから、もう一つ肝心なのは、

人にモノを教えるときは、決して「1」を教えれば、「1」伝わるモノではないということです

つまり原寸コピーは不可能で、必ず縮小コピーになってしまうものなのです


よく、学ぶ側に対し「一を聞いたら十を知れ」と檄が飛ぶことがありますが、

「十を聞いて一を知る」のが現実的な線ではないでしょうか……


つまり、後進に「一」を伝えるためには、自分は「十」を知らねばならないということ


だからこそ、後進に指導をすると、「わかっていたつもり」「できていたつもり」のことが、思うように伝わらないという壁にぶつかる


そのとき、「一」を伝えるための「十」のうち、何が足りなかったのかを気づくことが、なによりの修行であり、それが上達の大チャンスとなる


しかるがゆえに、後進に指導する機会が巡ってきたら、尻込み しないで引き受けてみましょう


とはいえ、やっぱり自分自身の修練がなにより大事なわけですから、ちょこっとだっていいんです

たとえば

茶帯ぐらいで、8:2

初段・二段なら、7:3~6:4ぐらいで、自分の修練優先でどうでしょう?


子供が多い、有段者が少ない、高段者が多い、同じ資格の拳士が少ない、親子拳士が多い、etc.と、道場の環境や構成によって左右される面も多々あるでしょうが、指導をする機会は自分を磨くチャンスです


指導者の卵→ヒヨコ→ヒナ→オヤと成長できるように、指導力を磨いていこうではありませんか

(あれ? ヒナ・オヤとか言っていたら、なぜだかヨダレが……(笑))



その一方で、

少林寺拳法の拳士は、道院長・支部長であっても、修行者であって、誰かの弟子であることには変わりありません

みんな開祖の弟子であり、その開祖の技法と教えを学んだ先達の教えを受けてきたからこそ、いまの自分があって、さらに一生かかっても学び足りることはないはずです


なので、拳士は指導力を磨くとともに、弟子力もパワーアップしていくべきでしょう


弟子力とは、学びの吸収力、吸引力のことです


その弟子力強化に必要なのは、第一に向上心

もうひとつは、先生をやる気にさせること

優秀な先生の条件が「生徒をやる気にさせること」だとしたら、弟子力が高い人の条件は「師匠をやる気にさせる」ことになります


師匠をやる気にさせるには、ごまをすったり、おだてたり、謝礼を増やしても、多くの場合あまり効果的ではないはずです(!?)


「初生の赤子として、真純単一に此の法修行に専念す」という気持ちを形(態度、姿勢)で示すのが一番だと思うのですがいかがでしょう

つまり、礼を尽くして、素直になって、やる気を見せること

これに尽きるというわけです


言葉で言えば簡単ですが、実際にやるのは難しい

とくにキャリアが増すと「素直になって」というのが、厄介ですが、指導者こそ率先して素直になることを実践しなければなりません

(ワタシに一番欠けている部分でもありますが……汗)


素直になって、師匠の教えに、自己解釈を加えずに耳を傾ける

別の言い方をすれば、師匠に周波数を合わせること


『この部屋には、おそらく世界中の電波が入っている。日本の放送も何十局がある。ところが機械がよくなけれぱそれは選局できない。しかし聞こうという意志で波長を合わせれば、素晴らしい迫力で自分に伝わってくる。つまり人と人の出会いというのは、私はそういうものだと思うのです』
(1974年 本部武専での開祖法話より)


というわけで、この秋は指導力を磨くとともに、弟子力を強化して、「十を聞いたらせめて二、もしくは三」ぐらいは知ることができる拳士になろうではありませんか




身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

少林寺拳法の原点、五畳半道場(↑)

すべてはここから始まって、みんな開祖が灯した“聖火”を授かった弟子である

そして一人ひとりの弟子が、その“聖火ランナー”であり、自分のところで消してしまったり、止まってしまうのは許されない

入門して聖火を受け取った以上、必ず次の人に手渡す役割がある


だから修行者は、指導力と弟子力を同時に磨き続けましょう

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『105