前々から不思議に思っていたことのひとつに、
『「一流」と呼ばれるものが、必ずしも経済的に成功するわけではない』ということがある
ブランドでも、一流ブランドと有名ブランドというのがあるが、
一流ブランドは、間違いなくモノがいい
しかし、有名ブランドはクオリティが高いとは限らない
その代り、「人気」とやらはなぜだか高くて、市場でもそれなりに高い値がついていたりする……
人間も同じ
わかりやすいたとえでいえば、
芸人やタレント、ミュージシャン、作家、アーティスト、料理人などがそれにあたる
誰もが認める「超一流」は、人気と実力に見合って、報酬も高い
これはよくわかるし、納得できる
ところが単なる「一流」だと、実力がある割には、ビジネス的にはいまひとつ、という人が少なからずいる
商売となるとさまざまなことが絡んでくるので、誰もが実力に直結した報酬を得られないというのも、それはそれでわからなくもないが、
納得できないのは、
実力的には明らかに一流未満の人物が、一流の人物を差し置いて経済的に成功しているケースがままあること!
自分が身を置く業界にも言えることだが、テレビなどを見ていると、一流の人よりも、一流未満のいわば「超二流」が活躍しているケースの方が、むしろ大半なように思えてくる
つまり、稼げるのは「超一流」と「超二流」
キーワードはいずれも「超」であり、「超」のつかない「一流」では、経済的成功は確約されないというのが現実らしい!?
まったく世知辛い世の中である
何でもかんでも「儲かる・儲からない」の度量衡で測るのは、いい加減勘弁してもらいたいし、値段=価値ではなく、本質を見る目を養ってもらわないと、このままいくと、日本はどうということのない超二流のつまらない人物と、ソコソコの出来で、価格は従来の半分というモノに占拠されてしまうのではなかろうか?
だって、「楽して儲かる」のが、グローバル時代の勝者だとしたら、誰も苦労してまで一流になろうとは思わなくなってしまうからだ
それはさすがにまずいと思う
なにかの本で、
「報酬に見合ったベストを尽くすのがプロで、
引き受けた以上、報酬金額にかかわらず最善を尽くすのが玄人」なんて話があったけど、
いざというとき損得抜きで、ベストを尽くせるのが「一流」の条件だと思うし、
若者は(若者以外も)、全員一流を目指すべきだというのが、ワタシの信条だ
そうして一流を目指して努力している人の中から、「超一流」も出てくるはず
なんて、話を昨日の飲み会でぶちかましたら、
友人たちには、『経済的に成功するには、「超一流」でも「超二流」でもいいから、「超」がつかなければダメなんだ』という部分だけ、妙に感心されてしまった
おまけに熱弁を振るいすぎて、酒の量が進み、
帰りに「う~、今日はちょっと飲みすぎた~」と唸ったら、
友人に「上虚下実さん、“ちょっと飲みすぎ”じゃあ、経済的に成功しないよ。ビジネスで成功を収めるには、“超飲み過ぎ”にならないと(笑)」と笑われてしまった……
やっぱり、ワタシは経済的成功者になる資質はないようですし、そこまでして経済的成功者になりたくはない
でも、「超一流」になる夢は持ち続けていたいと思う!
少年よ(そして中年も)、大志を抱け!!
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『104』