初詣は専有道場!? | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

みなさま、あけましておめでとうございます


2011年は本当に重たい一年でしたので、こうして無事新しい年が迎えられたことに感謝し、

心新たに、そして肚を据えて、2012年に臨んでいこうと思っております


そんなワタシのお正月は、例年ですと初日の出を拝みに行くことからはじまるのですが、今年はあいにくのお天気で……

(きちんと元旦の朝6時には起床していたのですが)


そこで、昨日、初詣に行ってまいりました


向かった先は



身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

ここ!

他でもない、ワタシたちの専有道場でした


御蔭も罰もご利益もも説かない(?)我らが金剛禅総本山少林寺ですが、精神統一し、自分自身に「今年一年、こういう年にしよう」と誓うには、これ以上最適な礼拝施設はないのでは?


正しい形で合掌礼をし、身体の中心を天地方向に貫く軸(正中線)を通し、その天と地を結ぶ卍の縦軸、つまり過去から未来へつながる時間の流れと、陰陽をつなぐ卍の横軸、すなわち空間的な広がりという、じつに「広大なもの」の一部であるとともに、その中心にいる自分を実感する……

そんな霊肉一如の経験から、新年をスタートさせるのもよいのではないでしょうか



(初詣なので、ムスメとセガレも一緒)


ワタシはお正月だけは着物を着ます
着物は、道衣と同じで、身体を軸に布を巻きつけて着るので、軸(正中線)の意識が高まりやすい
帯も丹田の意識強化を助ける装置になっていて、身体意識が高まりやすく、
袖や裾やひらひらしているので、身体感覚が周囲に広がり、自然に武道・武術的な身体づかいになってくる気がします

まあ、そんな理屈より、気を引き締めることを含め、ストレートに気持ちがいいので、お正月は着物を着ているだけです
さらにもっと単純にいえば、日本人として、お正月ぐらいは着物を着たいと思っただけです

普段はずぼらで、ラフ&アバウトな性格なので、どこかでメリハリをつけないと、だらしなさが加速しかねないので、自分でリミッターをかけているのかもしれません
正装も正座も、やってみると意外に快適で、身体が喜ぶものなのですが……
(その話はまたいずれ)

ちなみに、ワタシたちの道場は、地元の古刹、子の神大黒天の境内にあるので、子の神大黒天にも同時にお参りしてきました

もうちょっと若いころは、科学万能主義の現代病の影響で、神社仏閣などにお参りすることに、一種の嫌悪感というか、抵抗感があったのですが、いまは肩から力が抜けて(?)、そうしたアレルギーはなくなりました

信じれば信じるほど不幸になる迷信や、自分たちだけが正しいと排他的になる妄信、さらに攻撃的になる狂信は断じて認めませんが、偉大な大自然や、目に見えない霊力(神仏)、あるいは伝統などを敬う気持ちを軽視するのも、精神的なバランスに欠けると考えるようになったので……

そういえば、藤原正彦氏も著書で
「美の存在」と「ひざまずく心」と「精神性を尊ぶ風土」の三条件がそろっていることが、天才を生む土壌に欠かせない共通項だと書いていた記憶があります

天才は先天的なものなので、いまさら、天才になれるとは思っていませんが、
「達人」は文字通り、後天的に上達し、ある高みに達した人です

この達人に達する道も、先の天才の三条件となんら変わることがないでしょう
少林寺拳法の道場には、その三条件がそろっているので、
今年も先賢先達、そして門下生に囲まれながら、達人を目指して精進していく所存です

法縁有志各位には、今年もご好誼のほど、なにとぞよろしくお願いします


本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108』