先月、つまり10月はワタシの近しい人たちの誕生日ラッシュの月
ワタシ自身、ワタシのムスメ、義母、義祖母、お世話になっているI先生、もう亡くなってしまったが自分の曾祖母(享年103歳)も10月生まれで、おまけに自分の両親と、連れ合いの両親の結婚記念日まで10月で、なんだか毎週お祝い続きだった!?
そんな個人的な背景があったので、初秋の頃、門下生に次のような法話をしてみました
『みんな、誕生日を迎えると、親兄弟、おじいちゃんおばあちゃん、お友達等々、いろいろな人から「おめでとう」といって祝ってもらえるよね。とくにご両親はごちそうをこしらえ、ケーキを用意してくれたり、プレゼントまで買ってくれたり、本当に特別の祝い方をしてくれます。
でもみんなどうだろう? 誕生日ってそれが当たり前だと思っていませんか?
先の震災のことなどを考えれば、家族みんなが集まって、お祝いしてくれることは、当たり前のことではないはずです。やはり、感謝を忘れてはいけません。
それから、私たちは「半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを」をスローガンに掲げている拳士ですから、お父さん、お母さんをはじめ、みんなからお祝いされっぱなし、プレゼントをいただきっぱなしというのは、いかがなものだろうか?
自他共楽を目指すなら、お祝いされて自分だけ喜ぶところから、もう一歩進んで、誕生日には、自分に命を授けてくれたお父さん、お母さんに「ボクのこと、私のことを生んでくれてありがとう」といってみようじゃないか』
とこんな感じのことを呼び掛けてみたのです。
そうしたらそれを実行してくれた拳士が現れたのです!
それは少年部の某拳士、ここでは仮にサスケ君としましょう
たまたま、そのサスケ君は、ワタシが上記の法話をした後が誕生日だったので、
自分の誕生日の時に、きちんとお母さんに「自分を生んでくれてありがとう」といったそうです!!
後日、お母さんから下記のようなメールを頂戴しました
「(今日)帰ってきて、サスケ(仮名)が玄関あけたとたん、生んでくれてありがとう、と言ってくれました。私も、生まれてきてくれてありがとう、とぎゅっとしたら、恥ずかしかったのか涙ぐんでいました!先生からの言葉が本当に素直に心に響いているサスケです」
いや~、うれしかったです
ハートがじーんとしてきました
と同時に、道院長の一言一句、一挙一動の影響の大きさも痛感し、思わず身が引き締まりました
その後、たまたまサスケ君と二人っきりで話をする機会があり、
「サスケはこの間が誕生日だったな~。前に先生が言った通り、お母さんに「生んでくれてありがとう」って言ったかい?」
「うん」
「そうか! そうしたらお母さん喜んだだろう」
「喜んでた」
「お母さんが喜んでくれたら、サスケもうれしくなっただろ?」
「うん!」
「それがホントの自他共楽なんだよ」
「……」
「お母さんに「生んでくれてありがとう」っていうのは、ちょっと恥ずかしかったんじゃないか?」
「ちょっとね」
「でも、サスケは勇気を出して言ってみたわけだ。そうしたらお母さんもサスケも幸せな気持ちになれたでしょ。それがすごく大事なんだぞ。
はじめにサスケが勇気を出す。そして行動に移す。そうしたらとってもいい結果が得られた。
これって、いつも道場で教えている「勇気→行動力→自信」という流れそのものだろ
それで、まず他人=お母さんが喜んでくれて、その喜んでくれた他人=お母さんを見て、自分もうれしい気持ちになる
これが自他共楽の理想形なんだよ」
というやりとりをしました
たぶん、サスケ君にも「自他共楽」の要諦がきちんと伝えられたと思うし(その手ごたえはあった)、自分自身にもとってもいい勉強と経験になったエピソードだったので、このブログでも紹介させていただきました