組手主体とサバイブスキル(新しい仲間が加わりました) | 身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

我孫子道院 道院長のブログ

またまたうれしい報告です

昨日から、小学4年生と1年生のK君兄弟が、我孫子道院に入門してくれました


少林寺拳法には六つの特徴があり、その六番目が「組手主体」

修練は基本的に二人一組で行うのが原則なので、入門当初から“兄弟”というペアがいるのは、恵まれているといってもいいだろう


この組手主体は少林寺拳法の素晴らしい特徴の一つで、メリットもたくさんあるのだが、その反面、日ごろの修練の進捗から、昇級・昇格、大会、etc.と、いずれも「いいペア」に恵まれるかどうかに、左右される面が多分にある


だから、兄弟、親子、あるいは友人同士で同時期に入門できるのは、一つの理想形といえるだろう


でもだからといって、いつも特定の拳士とばかり組んでいたり、いつも組んでいる人にしか上手に技が決まらないといったペア限定の技法、技術になってしまっては意味がない


ワタシが懇意にさせていただいている、世界的アドベンチャーカメラマンのA先生(南米のアマゾンをはじめ、世界の辺境、秘境の撮影で長年第一人者だったお方)曰く、

「誰とでもすぐに打ち解けられるというのは、数あるサバイバルスキルの中でも五本の指に入る大事な要素」とのこと


武道・武術、なかでも組手主体の少林寺拳法は、究極のボディコミュニケーションであり、間合いの違い、力の強弱、スピード、身体の柔軟性などの瞬時に対応し、相手と呼吸を合わせ、そのうえで呼吸をそらしたり、往なしたりすることを身につける稽古に日々取り組んでいる


少林寺拳法の技法は、相手とぶつかり合うものではなく、彼我一体、自他未分となって、1+1を2ではなく、3にも4にもしていくところに妙味がある


だから単なる護身術にとどまらず、人間完成の「行」、さらに身体と精神の調和を図る禅門覚道の最高の行である身体鍛練法として定められているのだ


ここで開祖語録を2つ紹介しておこう


少林寺拳法の道場には「一緒に学ぶことは楽しい」はあっても、蹴落としてうれしいはないのです。少林寺拳法は組んでやりますから、相手は下手で自分だけ上手は成り立たない。「そこ違うぞ。僕が一遍して見せるよ」、そういうことが今日の少林寺拳法をつくってきた。そして私はこれを「将来も残したい」と思ってます』


『自分ができる、だから君もできる、と。できるようになったら「ああ、いいな、じゃ次にいこう」と。強くなる必要はない。上手になればいい。自分も喜べるが、他人も喜べるようになる』


はっきり言って、人間一人ひとりに与えられている身体ほど個性的なものは他にはない

(親子だって、臓器移植が難しいといわれるぐらい一人ひとりが違うのだから)

そのたった一つしかない自他の身体を尊重し、力に頼らず、理法にかなった技の体現を目指すこと

それがそのままコミュニケーション能力を高め、トータルとしてのセルフディフェンス、サバイブスキル、さらに身心ともに豊かになれる道につながっている


というわけで、新しい拳士が増えれば増えるほど、コミュニケーション力、サバイブ能力のアップする機会が増えるので、大変喜ばしいことです


K君兄弟も、積極的に先輩拳士と打ち解けて、みんなの中で、みんなとともに、楽しくスキルアップしていきましょう



身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法

身体からの悟りを目指して ~ 少林寺拳法


二体で一対の阿吽像(仁王像)

上が密迹金剛神(阿形)、下が那羅延金剛神(吽形)

二体そろってこそ価値があり、組手主体、調和を目指す金剛禅の思想の象徴でもある

金剛禅の「金剛」は、この金剛神由来


「仏教の源流のスタイル天地陰陽の調和を説き、対立した姿、天地陰陽のバランス、2つのもので1つの目的を表しているものは、仁王さん以外にないのですよ。キリストだって一人、日蓮も一人、お釈迦さんだって一人だ」開祖語録より)


少林寺拳法は、組手主体で攻者・守者の立場を交代しながら二人一緒に修練するから、技術の上達と人格の向上につながるのです


道場選びは、先生選びと同時に仲間選び

我孫子道院には、まじめで他人に対してオープンな拳士が集っています

K君兄弟に続く、新しい仲間を引き続き募集しております

本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『105』