今年の千葉武専は、9月が夏休み
そこで昨日は、前回の武専課外授業でも講師をお願いしたS先生をお招きして、今年三回目の課外授業を開講していただいた
参加者は、なんと6道院、4支部から約20人!!
(女性拳士も2名参加してくださいました)
せっかくの機会なのに、参加者が少なかったらもったいないな~、と思って
先月の武専で親しい有志をお誘いしたら、あっというまに予想以上に参加希望者が手を上げてくださり、やむを得ず、その時点で他の方にお声をかけるのをやめてしまいました……。
ひょっとすると、「参加したかったのに、声をかけてもらえなかった(怒)」という方がおられるかもしれませんが、例によって思いつきで決めたことですので、まことに申し訳ございませんが、微志ご諒察の上、ご海容ください
さて、その修錬の中身だが、これまた従来どおり、参加者それぞれが、自分の課題=修錬したい技法について、先生に質問し、ご指導をいただいたら、各人が道場のあちこちに散って、教わった内容を反復するという、一種の“放置プレー”スタイル
それだけに、先生がお手本を示してくれるワザは、次から次へと移り変わるのだが、それはそれで見逃せないし、自分が質問したワザは、忘れないうちに試してみたいし、となかなか忙しい
それを先生方や他の参加者がどう思っているかは?だが、ワタシはこの「武専課外授業」に限っていえば、それはそれでアリだと思っている
つまり宝物のような技法が、次から次へ現れて、箸でつまむ暇もなく、シューっと目の前を通り抜けていってしまう
その結果、自分のキャッチネットの小ささに気づかされ、「なんともったいない」「悔しい」と思うになるのだが、その「キャッチネット」の小ささの自覚が、ものすごくモチベーションアップにつながるような気がするからだ
また、本当に上手い人の少林寺拳法のワザというのは、驚くほど無理無駄がなく鮮やかに決まる
無理無駄がないので、逆らえないし、逃げられない
しかも一瞬してに決まるものなので、何でこんなに簡単に倒されてしまったのか、あるいは決められてしまったのかが、最初はさっぱりわからない!
だから、鮮やかに決められてしまうと、笑うしかないときがある
そして、そういうホンモノの技を体験すると「同じ技でも上には上がある」ということが、身に染みてよくわかる
でも、その笑うしかないほど鮮やかにかけられてしまった妙技であっても、
少林寺拳法の技法に神秘的な要素はない
目に見える技の形はあくまで結果であり、そこへ至る原理・原則が必ずあって、それが何より肝心なのだ
S先生の悔しいぐらい鮮やかな技(その悔しさがモチベーションUPに火をつける)も、妙技ではあるが、すべて理路と理法で説明でき、決して神秘的な力によるものではない
これは少林寺拳法の技法全体にいえる大きな特徴であり、傍からどんなに神秘的に見える技でも、有効な技法というのは全部その理の説明がつく
世の中には神秘的な魅力、ロマンティンクな魅力を持つ武術もあるが、少林寺拳法はとことん論理的、構造的な技法であり、それもまたひとつの特徴的な魅力になっている
もちろん、だからといってすぐ理解できるわけでもなく、理解できてもそれを体現するのは容易ではない
でも、理がわかって、課題が明らかになれば、道は遠くとも光は見える
光が見えれば、稽古は楽しい
だから級拳士でも、初段・二段クラスの拳士でも、できるだけたくさん本物のワザを体験する機会を得て、
「えっ、なんで!」→「悔しい」→「でも楽しい」という思いをして、あくなきワザへの探究心を加速させ、どんどんのめり込んでいってもらいたい
誰より、他ならぬワタシがいつもそういう思いをしていたいので、折をみてまた武専課外授業の機会を設けたいと、願っている
(年内にもう一度ぐらいはやりたいのだが……)
ご協力いただいた先生方、拳士各位にこの場をお借りして、御礼申し上げます
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『110』