関東地方は早くも梅雨入り
連日、震災関連の痛ましいニュースや原発事故の腹立たしく、そしてどこまでも疑わしい情報を見聞きしているところに、お天気までジメジメ、ぐずぐずしてくると、さすがに少々気が滅入ってくる(!?)
しかし、この国難の折、陰気になっている余裕はないので、
滅入った気は、ただちに補充しなければならない
「人間は、“出す”ことによって生きられる」
という先賢の教えにしたがって、普段はアウトプットの重要性を強調しているワタシだが、
こういうときは、インプットも肝要かと……
普段、アウトプットを強調するのは、インプットに関しては、誰もが放っておいてもそれなりに重視しているからであって、けっして蔑ろにしているわけではない
多くの人が食事にはこだわるだろうし、入金だって極めてシビア、技量や知識の吸収も貪欲だろうが、じつは入ったものをどう出すかは、インプット以上にセンスが問われるところだし、そのバランス次第で入力されたものが、生きるか死ぬか変わってくる
例えば、いい食事といい排泄は一対だし、呼吸に関していえば、息を引き取る=「死」であり、息を吹き返す=「生」
というわけで、食事も、呼吸も、お金、も知識・技量も、スムーズに取り込んで、スムーズに出せる、風通しのいい身心になるのが、達人への道と理解しているが、それができれば誰しも苦労はしないので、インプットとアウトプットはしばしアンバランスになりやすい
そのアンバランスを補正するために考案された古人の知恵が、呼吸法なのはご存知のとおり
少林寺拳法教範にも、
陰気な気分を吹き飛ばし、宇宙の大精気を取り込んで、身心の活力として用いるのが、調息法の目的と書かれている
金剛禅総本山少林寺に伝わる呼吸法は、
①吸気(鼻から深く大きく息を吸入 「宇宙の精気我体内に入る」と思念する) 約七秒
②漏気(鼻より少しフムと漏らす)
③充気(息を止め、気を満たす) 約三秒
④呼気(「ダーマの徳性、我に発する」と思念しながら、七分の息を吐き出す) 約十秒
⑤残気(三部残して吸気にもどる) 約三秒
の五つの息法を繰り返し、意識的に気を充実させる方法となっている
そして開祖は、このなかでもっとも重要なのは③の充気であると教えている
「この充気の状態のときこそ、身心ともに統一され気力が充実しているときであり、自然に内部の力が高張している状態であるから、この状態を意識的に作る修行法を呼吸法と呼んで昔から重用しているのである」
(少林寺拳法教範より)
呼吸法のすばらしいところは、道具も要らず、どこでもできること
その反面、呼吸は生きている限り、誰でも無意識に絶えずおこなっているので、意識的におこなう習慣がなく、しかるがゆえに真に身心に有効な呼吸のできる人はわずかしかいない……
それを意識して、いい呼吸をしようとすると、意外にむずかしいことに気づくはず
とくにむずかしいのは吸気
息をできるだけ大きく深く吸おうとすると、身体が力みがちになり、とくに肩周りに無駄な力が入り、上半身が固まって、肝心な息が深く大きく吸えなくなることが少なくない
息を深く大きく吸い込むには、いい姿勢で全身を脱力させることが肝要だ
②の漏気も、おそらくそうした吸気による無駄な力みを解消するための偉大な工夫なのではないだろうか
一方、呼気はゆっくり長く吐くことで、自然に身心がゆるんでリラックスしていける
そのとき「ダーマの徳性、我に発する」と思念のが大事な秘訣
つまり清涼な気が身体の隅々まで染み渡る意識をもって、息を吐くということ
また、息を全部吐ききらずに70%ぐらい吐いたところで息を止め、三分(三割?)残して、残気の状態をおよそ三秒ほどキープするのも大事なコツ
そしてふたたび吸気にもどっていくわけだが、呼気で緩んだ身体を固めないようにして吸気を行い、漏気→充気のあとの呼気でさらに緩むというローテーションが繰り返されるのがひとつの理想形だろう
(以前、呼吸法は字面どおり、吸気からではなく、呼気からおこなうべきという説も聞いたことがあるのだが、どうなのだろう?)
息は意気
滅入った気はまずは呼吸法で充填だ
とはいえ、充気の方法は、呼吸法に限ったものではないはず
我々拳士なら、良師について教えを乞うのもいい気の充填といえるし、道場に出て仲間たちといい汗をかくのも最良の活力源のひとつ
本山に帰山したり、武専に出るのも有効だし、美味しいものを食べに行くのも、気の合う友達と飲みに行くのも、旅に出るのも、子ども達と遊ぶのも、温泉に入るのも、芸術に親しむのも、いずれもすばらしい気の導入、インプットになる
普段、走り続けて、アウトプットが過多気味になっている人は、ここらで一息入れて、インプットとアウトプットのバランス調整をしておきましょう
5月21日の横浜アリーナのコンサート会場
ワタシはここで充電してきました
来週は、本山の道院長研修会で充電です
(そういえば、F1モナコGPの小林可夢偉の快走もワタシの充電になりました ただ地上波のコメント陣がいただけない せっかく3人のチャンピオン経験者が激しいトップ争いをしている場面なのに、「可夢偉、可夢偉」と騒がし過ぎる! 国籍に関係なくハイパフォーマンスには賛辞を送る、そうした放送が公共放送の役割だと思う)
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『106』