先日、早めの夏休みをとって、
軽井沢→万座→なべくら高原と、信州の高原ライフを楽しんできました
2泊3日の旅の宿泊先は、いずれも知人の古民家
これがまたすばらしく情緒があって、ホテル以上にくつろげました
夜は庭でバーベキューを楽しみ、食後は目の前の小川でホタル観賞
(今年もたくさんのホタルに出会えました)
名湯で知られる、アノ温泉にも浸かってこれました
ワタシは子供のときから、夏は海より山に出かけるほうが好きだったのですが、今年でかけたなべくら高原の“意場”“気場”は格別でした
いつかは道院の夏合宿も、こういうところでやりたいものです
少林寺拳法の技法は、経脉の理や反射神経の活用、、運動神経の逆用、など、物理学的、心理学的、生理・生化学的な各種理法によって構成されているので、いわゆる“気”といった概念などは、どちらかというと無縁で、またそこがひとつの魅力になっているのだが、技法はともかく、やはり生命エネルギーとしての“気”の存在は、けっして否定することはできないと思う(私見)
そして、その“気”には、その土地や場所がもっている固有の“気”というものがあるように感じられる
(ワタシにはいわゆる霊感はまったくない。念のため)
ワタシの主観では、夏の高原には、その土地の持つ“気”、”意場”や“気場”が豊かなところが多い気がする
そして、そうした高原に行くと、魂が洗濯されて、心身ともに充電された気分になれます
充電されれば、その分、道場でもアウトプットができるはず!?
やはり、人間はインプットとアウトプットのバランスが大切です
でもあえていえば、より重要なのはアウトプット!
アウトプットを積極的にすれば、体内(脳内?)が真空状態に近づいて、必然的にインプットしやすい体質になるというのがワタシの持論なのですが……
というわけ、技法も教えも出し惜しみは厳禁です
気持ちよく放出して、次のインプットを待つ、というのが正しい拳士のスタンスといえるのではないでしょうか
皆様に暑中お見舞い申し上げます
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『110』