4/21(日)朝、熊本市の花岡山で開催された、
「第48回フィリピン戦没者慰霊大祭式」に
参列させていただきました。
日本各地で慰霊祭が行われているのは知っていましたが、
実際に足を運んだのは初めてのことです。
今回は、福岡事務局を開設して以来ずっとソルトを
応援して下さっている会員の佐藤さんに声をかけて
いただいての参加でした。
佐藤さんと↓
佐藤さんのお父様は、先の大戦中、民間人でありながら
フィリピン戦に巻き込まれ、ルソン島北部の山奥で命を
落とされ帰らぬ人となりました。
私の祖父もまた、26歳の時に、兵士としてフィリピンに入り
ルソン島沖の小さな島カミギン島に上陸するや否や
マラリアで病死し、戦没者となりました。
母が生まれたばかりの時でした。
フィリピンの戦没者の多くは、飢えと病気が原因で
亡くなっています。圧倒的な戦力の差、敗戦は始める前から
分かっていた戦争だったと言われています。
フィリピンで命を落した日本人の数は約51万8000人
その背後には、家族を失いその後60有余年悲しみを
背負い生きることになった家族がいます。
そして、フィリピン国内には、戦争で巻き込まれた
フィリピンの民間人が約110万人います。
慰霊祭を執り行われているフィリピン戦没者慰霊碑奉賛会の
会長、島田真祐さんの弔辞の一節です。
…負けることがわかっていたフィリピン戦。
少しでも日本への上陸を遅らせるため、祖国を守るために
必要な戦いだったかもしれない。
けれど、やはり決してやってはいけない戦いだった。…
60年以上経ってなお、悲しみ、切なさ、無念さは当時のまま
遺族の胸に残るものなのだと、強く感じました。
島田さん、佐藤さんと↓
やっていい戦争など世界のどこにもない、そう思います。
「亡くなった方たちの事を胸に、平和のために力を尽くす」
言葉で言うのは簡単ですが、これを日々の暮らしの中で実践して
いくってどういうことなのか、改めて考えました。
島田さん、佐藤さん、そして祖母や母のような思いを
した人が身近に何百万もいる日本。何千万人もいるフィリピン。
ひとりでも多く、周囲の人に、若い人に伝えていかないと
いけないのだと思います。
慰霊祭のおしまいに、いつも巡礼の旅の時に歌われるという歌が
流れ、参列された方たちが口ずさんでらっしゃいました。
巡拝の歌
海山越えて幾千里
散華せられたやしの島
尋ね歩いた山や川
つのる恨みも消え失せて
いとしなつかしルソン島
青海原のサンゴ礁
椰子の木繁るジャングルに
生ける如く呼びかける
そっと抱いた面影よ
思いは深し十字星
焼け付くような南国に
苦難の勇士しのびつつ
別れ告げるも答えなし
君のみ霊よ我が胸に
共に帰ろう故郷へ
不思議だなと思ったのですが、この歌の間だけ、
慰霊碑の周囲の木々が、風にゆれ、さわさわとざわめきました。
歌と一緒に始まり、歌が終わるとぴたりと止んで
いっしょに歌っているような、本当に不思議な
ひとときでした。
司会の方に紹介していただいて、フィリピンの刺しゅう付タオルを
販売させていただきました。
あたたかいお気持ちで、皆さんに1枚、2枚と買っていただきました。
本当に本当にありがとうございました。
戦没者を悼む慰霊祭。
実際に足を運んでみて分かったのは、悼むだけの場ではなく
そこは、悲しみを越え、平和のために誓いをたてる場であるという
ことでした。
いっしょに平和を創っていく、平和を創る人をつくっていく
ソルト・パヤタスの活動の一つ一つから、その意志が
滲み出してくるようなそんな団体にせねばならないと
気持ちを新たにした日曜の朝でした。
今日のブログの最後に、佐藤さんの短歌をご紹介します。
* 巡拝を止めんとせしが何故か行きたき心わが内に湧く
* 機上よりルソンの海と山を見る巡拝の旅幸せなりき
* ジャングルの父の最期を確かめんとルソン巡拝五日目となる
* マンゴーの花咲く下の慰霊祭風吹きくれば折々匂う
* リンガエンの海青々とひろがりて父の慰霊の悲しみ癒ゆる
* カリラヤの追悼式にわれの名を呼ばれて亡父に白菊捧ぐ
* 呉港を出で立ち征きしわが父の見たる山河を老いて来て見つ
* 二百万の兵出で征きし門司港の記念碑に捧ぐる曼珠沙華の花
特定非営利活動法人ソルト・パヤタス
事務局長 小川恵美子
TEL/FAX:092-939-3633
Facebook (特活)ソルト・パヤタス
ホームページ:http://saltpayatas.com
ブログ:http://ameblo.jp/shoppaize
子どもたちの未来を応援するハンカチ
アトリエリカ オンラインショップ:http://likha.shop-pro.jp/