こんばんは 「ようよう坂町」
ロンドン五輪も半ばを過ぎ、熱戦が続いていますが、今日は陸上の
100m準決勝がありました。わが母校の山縣選手が出場。世界の強豪
を相手に、懸命に走りました。日本人初の9秒台が出たかとドキドキしま
したが、残念ながら10秒10で、落選。「おしい山縣選手」でした。「おしい
広島県」から「おいしい広島県」へ。次の五輪では「おいしい山縣選手」を
期待しましょう。でも修道魂見ましたよ。ありがとう。
さて、今日はヒロシマの原爆記念日です。昭和20年(1945年)8月15分、
広島市の上空で、人類初の原子爆弾がさく裂し、多くの方がなくなりました。
そして未だにその後遺症で苦しんでいる人々がたくさんいます。おりしも
今年は福島原発での被爆問題があり、風化が懸念されたヒロシマ問題も
再び注目されている中での「平和祈念式典」が午前8時から、平和公園で
行われ、核廃絶と世界平和へメッセージが世界中に発信されました。
「夾竹桃」は『原爆により70年間(あるいは75年間)草木も生えないといわ
れた広島市の焦土にいち早く咲いた花で、 市民に復興への希望と光を
与えてくれた』という事で1973年(昭和48)文化の日11月3日にキョウチク
トウが‘広島市の花’に選ばれています。
「夾竹桃」は、日本へはインドより 中国を経て江戸時代中期に伝来し、葉
が竹に似ていること、花が桃に似ていることからこの名がつきました。
その夾竹桃が今町内でも咲いています。花が咲いている中、次のつぼみ
が開花の準備をしています。多分このつぼみが原爆後初めて咲いたので
しょうか。
「夾竹桃」を観察していると、5月下旬から咲き始め、一旦花を落とし、2
回目がこれから咲いていきます。そしてまた花を落とし、10月頃再び開
花し、11月までの6ヶ月間ぐらいの長きにわたり、3回も開花を繰り返す
生命力のある息の長い花です。
ピンクの花が多くありますが、白い花もあります。「白い夾竹桃」です。
今日午前8時から、わが町でも「被爆67周年原爆犠牲者追悼慰霊式」が
北新地運動公園慰霊碑の前で開催されました。平和を愛する非核宣言の
まち宣言の看板があります。
北新地運動公園は昭和59年に、東部流通団地埋め立てによりできま
した。その完成を記念して商工会が音頭をとって誕生したのが「ようよう
まつり」です。今では坂駅前のパルティ・フジ坂が会場になっていますが、
今年3月で28回目を迎えました。初回の会場のグラウンドです。
北新地運動公園内に「原爆犠牲者追悼碑」がありますが、そこで今日午
前8時から「被爆67周年原爆犠牲者追悼慰霊式」が行われました。
主催は“坂町原爆被害者の会”です。今年の死没者の方が34名、今まで
の死没者の方は1,297名とのことです。
式には町長さんや町会議長さん、町会議員さん、民生委員さんの来賓と
被害者、遺族の方々などが出席されました。
「被害者の会」の副会長の開会あいさつで式は始まりました。次いで会の会
まず全員による黙とうです。そして町長、町議会議長の追悼のことばです。
続いて来賓、会員などの献花です。
海洋クラブの子どもたちも献花していきます。
献花が終わり、式典が閉会しました。
被爆67周年、ややもすれば子どもたちも投下日や時間なども知らない
世代が増え、風化の懸念がある中、昨年からの福島原発の問題もあり、
再び注目されてきた「ヒロシマ被爆」ですが、こういった体験はもうやめに
したいですね。核の平和利用ということでの原発。安全神話は見事に
覆されました。今後はどう取り組んでいくかが大いに問題です。
今日は併せて人の命ということを考えさせられる重い一日でした。
8時15分を境に一瞬のうちに生死を分けた人々、昨年3月11日もそう
でした。午後2時46分前には、普通の生活をしていた人々が、瞬間的
に生と死に分かれる。こんなことってあるのでしょうか。無常といわざる
を得ません。多くの方が生死を共にしたので、影響は大きいのでしょう
が、日常茶飯事でも、交通事故や火事などで、生死が分かれることっ
てあります。今から寝ますが、明日朝、目が覚めるとも限りません。
そのまま永遠の眠りにつくことだってありえます。朝、目が覚め起きら
れることは当たり前のようですが、実は奇跡かもしれません。
朝起きて命あることに感謝したいですね。そんな思いをした今日一日
でした。