こんばんは 「ようよう坂町」
今日から7月です。1年でいえば、半年過ぎ
後半戦への突入となり、新しい気持ちで、そし
て新しい環境で決意も新たにという方もいらっ
しゃると思います。
そんな中、W杯サッカーで見事決勝リーグ進
出で、接戦のためPK戦で敗退した日本チー
ムが帰国し、多くのサポーターが空港に出迎
えていました。そして帰国会見では、岡田監督
が「すばらしいチームだったので、もう一試合さ
せてやりたかった。チームは日本の代表として
日本人の誇りを持って、脈々とつながっている
日本人の魂をもって戦ってくれた。すばらしい
選手・スタッフと仕事ができ、幸せであった。
W杯は終わったけれど、選手たちは前を向い
て進んでいかなければなりません。彼らを応援
し、成功・幸せを祈ってやりたい。ぜひ皆さん
温かい目で見守って欲しい。ありがとうござい
ました」すばらしい戦績とともに今日の会見スピ
ーチもすばらしいものでした。
ベスト4という目標は達成できなませんでしたが、
ベスト4の目標だったから、決勝リーグに進出で
き、ベスト8へ向けての今一歩の熱戦ができたの
でしょう。もし一次リーグ突破が目標でしたら、
一次リーグで敗退していたでしょう。日本中にい
や世界中に夢と勇気を与えてくれた日本チーム
の皆さんありがとうございます。
夢といえば映画「RAILWAYS 49歳で電車の運
転士になった男の物語」を見に行きました。
室長。取締役への昇進が内定するなど、東京で
妻子とともに暮らす彼の人生は一見、順風満帆
そのものだった。そんなある日、故郷・島根に住
む肇の母が倒れたという一報が入る。さらに親し
かった肇の会社の同期が自動車事故で亡くなった。
久々に帰郷した肇は家庭を顧みてこなかったこれ
までの人生、そして今後の人生について考えた。
そして自分の子供の頃の夢だった「一畑電車の運
転士になる」ことを実現すべく会社を退職し、一畑
電車に中途入社することとなった。晴れて運転士と
なったのは肇の他にもうひとり、肘の故障でプロ野
球入りの夢を絶たれた青年・宮田がいた」という映
画です。一畑電車といえば、島根県の出雲市の一
畑薬師寺の参詣者輸送のため計画されたという
ことです。その映画で出てくる電車です。
この映画は、エリート男がその名誉を投げ捨てて
子どもの頃の夢を実現するというものですが、母親
の病気のこともありますが、49歳での転身は大いに
悩んだ末の大決断だったと思います。結果的には
自らの転身ぶりと家族も応援してくれたのでハッピー
エンドということになりました。
今リストラなど厳しい状況の中、中途退社で再就職
などを強いられている方も多いことでしょう。ハロー
ワークに行ってみると、若者だけでなく、中年の人も
職を求めてたくさんいらっしゃいます。そんな方々の
ことを考えると、全てがこのようには行かないだろう
とも思いましたが、子どもの頃を含めての「夢」という
ものを考えさせられました。
もう私は49歳はとっくに過ぎましたが、その頃はどう
だったのかを振り返ってみました。
前後して47歳頃はまだ“暁のジョガー”ではありませ
んでした。33歳から始めたジョギングは結構熱心に
やっており、オーストラリアメルボルンマラソンでは2
時間55分で、ミュンヘン五輪マラソン金メダリストの
フランクショーターに勝ったこともあります。ところが
48歳のとき、ぜんそくと診断され、それ以来マラソン
の出場ができない状態が続きました。その年は坂町
初めてのショッピングセンターの「フジグラン安芸」が
開店しました。
その時に坂町商工会とフジが協定書を結びましたが
大型店の地元貢献ということで、無料で場所を提供す
るということを一項目加えました。島根県川本町との姉
妹縁組10周年を記念して初めて11月に開催したの
が「坂町・川本町特産品フェア」です。この特産品フェ
アは、川本町との経済交流の一環でもあります。この
時が49歳の時ですから、今年で15回目を迎えます。
の駐車場となっています。右奥に見えるのが町営住
49歳のときといえば、大型店対策で地元商店の活
性化を図るため「ようようカード会」を設立した年です。
設立時は35店、最多店数は53店でしたが、現在で
50歳のときには4人の子どもたちも家を大きくなりま
したので、約30坪ほど家を増築しました。
そして51歳のとき、坂町走友会と商工会ジョギング
倶楽部の皆さんで、オーストラリアゴールドコーストマ
ラソンに出場。ぜんそくのため4年ぶりのフルマラソン
挑戦となりました。再びサブスリーという「夢」に挑戦
するため、練習に励み、ぎりぎりの2時間59分で完走
し、「夢」を実現することができました。
メルボルンマラソンのコース近くです。2年前に想いを
はせながらジョギングしました。
49歳をはるか過ぎた今の「夢」は何なのだろうか。
ふと映画を見終わって考えてみました。個人的にはや
はり28年間走り続けていますので、再びフルマラソン
への挑戦でしょうか。そしてウォーキング日本一の町
でしょうか。7月は私の誕生月でもあります。そこらへ
んをさらに考えていきたいと思っています。
マラソンへの挑戦は、未だぜんそく状態なので、練習
方法に自転車を取り入れました。6月から夕方1時間
ぐらいの練習を始めました。梅雨ということですが、
雨が降らない日がわりと多かったので14日ほど乗る
ことができました。まだジョギングコース往復20キロ
前後といった所ですが、慣れてくると遠出も考えてい
ます。
充実とともに、新しいウォーキングであるノルディッ
クウォーキングの普及です。このウォーキングの
ためには、ポールがいりますが、このポールを
商工会員で設立した広島東部開発㈱で一括仕入
れし、町内の商店で販売できることを計画してい
ます。ウォーキングによる経済効果の一環です。
今、トレーニングを含め、デモンストレーションのた
め、このポールを使って夕方歩いています。
アフターウォーキングの楽しみとして、グルメや特産品
などの開発もしなければなりません。「ワンハンド焼き
そば」は好評となっています。
ウォーキングしていて楽しいまちづくりは花一杯の道
です。これもこれから取り組んでいかなければなりま
せん。
ます。「偉大な仕事は夢で始まり 情熱で持続され
責任感で成就される」「夢一人で抱くとき 夢で終わる
が 仲間とともに抱くとき 現実となる」ということばも
あります。
「マラソンへの再挑戦」そして「ウォーキング日本一の
町」実現のための今日の一歩です。