こんばんは 「ようよう坂町」
今日は七夕でしたが、雨模様で彦星と織姫の
年に一度のご対面は見ることができず残念で
した。七夕と書いてなぜ「たなばた」と読むのか
不思議に思い、調べてみました。七夕(しちせ
き、たなばた)は、日本、中国、韓国などにお
ける節日の一つ。旧暦の7月7日の夜のこと
ですが、日本では明治改暦以降、お盆が7月
か8月に分かれるように7月7日又は月遅れ
の8月7日に分かれて七夕まつりが行われて
います。五節句の一つにも数えられています。
古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や棚幡と
表記しました。これは、そもそも七夕とはお盆
行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置
するのが7日の夕方であることから7日の夕で
「七夕」と書いて「たなばた」と発音するように
なったともいわれています。
今海田町では、町の花である「ひまわり」が咲
き誇っています。
ひまわりを植えてあるところは、「ひまわりの里」
国道2号バイパス(東広島バイパス)の予定地の
一角にあり、約16アールを町が借りています。
今年4月にひまわりの種を約1万粒まきました。
ひまわりの種は各種ありますが、中には阪神
大震災後神戸とのひまわり交流を行っていま
すが、神戸から送られた“はるかちゃん”のひ
まわりの種も植えられました。
また、隣町の安芸区矢野町で2005年11月
の下校中に殺害されたあいりちゃんゆかり
のひまわりの種も植えました。あいりちゃん
は2004年に幼稚園でひまわりの種をもらい、
事件後も親族が大事に育てていました。
その種を昨年ひまわりの会が約50粒譲り
受け植えました。そしてその花からとれた
種約2000粒を今年植えました。 あいりち
仲良く並んで咲いていますが、もう少し遅い
ようで頭を垂れています。
このひまわり畑のひまわりは、ひまわりの会
が植え、管理しています。
“ひまわりの会”は、海田町で町花“ひまわり”
の普及、環境啓発活動を行っていますが、旧
海田町商工会女性部(当時は商工会婦人部)
が「ヒマワリいっぱい運動」を立ち上げたころ
にさかのぼります。 その活動がやがて実を結
び、平成6年(1994年)に町民組織として同会
が誕生。現在では、1,000人以上の活動会員
を擁するまちづくり団体へと発展しました。
同会には、啓蒙活動部会、自主栽培促進活動
部会、指定地栽培促進活動部会、プランター栽
培促進活動部会、イベント活動部会の5つの部
会があり、“明るい心と町づくり”をモットーに、
ひまわりを通じた地域間の交流事業や、ひまわ
りをテーマにした絵画コンクールなどの催しを行
い住み良いまちづくりと地域の活性化に貢献し
ています。また、国交省補助事業の「ひまわり通
りEco事業」にも取り組んでおり、自然にやさしい
まちづくりを目指し、風や太陽などのエネルギー
を利用し、地球温暖化対策に取り組むとともに、
花であふれた美しい自然が実感できる通りの演
出をし、海田町がEcoタウン日本一のまちを目指
して情報発信しようしています。
海田西中学生が作成した撮影ポイントです。
ひまわりのほとんどは、フルさんという種類で
す。背丈以上に伸び、大輪のひまわりは見事
ゴッホは八重のひまわりです。
見事に咲いたひまわりの花を撮影しに来られ
ている方もいらっしゃいます。
私もその一人でしたが、今日はRCC(中国放
送)のラジオカーが来ていました。
ひまわりの会の会長が取材を受け、放送され
たそうです。リポーターは見たような若い女性。
昨年8月に取材に来られた住本さんと今田さん
でした。昨年の取材は、海田町瀬野川沿いの
夾竹桃の件でした。半年間にわたって3回咲い
ては散りを繰り返しているとのブログを見られ、
関心をもたれての取材でした。取材が終わり
ポーズをとっていただきました。
さて、7月15日(水)は18:00から、ひまわり畑
の中で、ひまわりに囲まれての「ひまわり交流
会」が開催されますが、それまで持つかが心
ひまわりの会では、ひまわり畑に海田町の花
「ひまわり」を植えたり、学校や幼稚園、保育園
職場などの協力を得て、プランターなどでひまわ
り一杯のまちづくりを展開しています。その活動が
さらに広がり、海田町がひまわり(サンフラワー)
のようにサンサンと輝く町になることを願っています。