こんばんは 「ようよう坂町」
毎週金曜日の朝7時からは異業種交流の会
「積極人間の集い」があります。この集いは
毎週ゲストが変わりますので、興味深いもの
がありますが、会員から配布される資料もお
もしろいものがあります。
今回の資料の中で「酷税人生の見取り図」と
いうのがありました。缶ビール500mlを1日1本
を20歳から60年間飲み続けると酒税を243
万円、たばこを1日20本、60年間吸うと414
万円、車のガソリンは年間1万キロで161万
円だそうです。ちなみに私は今のところ、ビー
ル大瓶2本が毎日ですから615万円となりま
す。こりゃ大変だぁ。今後20年間量を減らす
か安いビール類への移行を真剣に考えなけ
ればならない時期に来たようです。
先週の金曜日第1303回のゲストは、音楽家
の奥野勝利さんで、演題は「心の羽に翼をつ
けて」でした。
奥野さんは1974年横浜生まれの35才、8
才の時両親とともにシンガポールに渡り、そ
の後アメリカの音楽大学大学院で学んで、
5年前、 “故郷に帰ってみたい”と 一人日本
に戻ってこられました。おばあちゃんから人
情の深い国だと聞かされ「あいさつをしなさい
人を大事にしなさい」といわれ、都会に住み
隣人に声をかけると無視されたり、美しい日
本が失われている現実とのギャップに「何の
ために日本へ帰ったのか」悩みました。
1年半前に仕事を辞め、ジムニーで気の向く
ままの旅に出ました。日本人が嫌いになりか
けていた時でしたが、鹿児島の根占にある温
泉に入っているとね隣で鹿児島弁を話してい
た二人の男性との出会いがありました。
「あの、それ日本語ですか?」「はい、日本語
です(笑)」から始まった会話。またどこかで。
といい帰って行った後、町の居酒屋で飯を食
べていると、ガラガラとドアが開いてあの二人
が入って来ました。「あら、さっきの」と言うと
「さっきはすまなかった、今からうちに来い」と。
どういう事かと訪ねると温泉で別れて家に帰
って飲んでたらさっき会った若い旅人の世話
もせず帰ってきてしまった自分達が許せなく
なったそうで、奥さんの運転で1時間以上も町
中僕の白いジムニーを探しまわったそうです。
そのまま二人の家に連れて行って地元の焼酎
とご飯を頂きました。家のそばに車を泊めて
寝ました。朝には奥さんが手作りの弁当を差し
入れしてくれました。このときふるさと日本は
よかとこと思いました。
そこで「ふるさと」を歌われました。
また田舎に行って人情に触れながらの歌を歌
う旅に変わったのは一つの手紙でした。
インターネットの震災追悼サイトで見つけた手
紙を読み心うたれた奥野勝利さんは、その手
紙にメロディーをつけ1曲の歌にしました。
「親愛なる母上様」です。
「親愛なる母上様」という手紙は加藤貴光さん
という青年がお母様に贈った手紙でした。
21才と言う若さで、この世を去った1人の青
年が、亡くなる前に母に書いた1通の手紙で
す。広島県に住む1人息子の貴光さんを母は
目に入れても痛くないほど可愛がっていました。
1993年、貴光さんは名門神戸大学に合格し、
母の元を離れて1人神戸へ旅立つことに。
そして旅立ちの日、母のポケットに入っていた
ものが手紙。そこには、今まで恥ずかしくて面
と向かって言えなかった、母に対する感謝の
思いが込められていました。
しかし運命のあの日、阪神淡路大震災により
貴光さんの住んでいたマンションは全壊。
貴光さんはコンクリートの下敷きになり、あま
りにも短い生涯を終えました。手紙を母に渡し
た1年10ヶ月後でした。
あれから12年、インターネットの震災追悼サイ
トで、その手紙を読み心うたれた奥野勝利さん
は、貴光さんの手紙にメロディーをつけ1曲の
歌にしました。
その歌は「親愛なる母上様」
作詞:加藤貴光さん 作曲:奥野勝利さん
「あなたが私に生命を与えてくださってから、
早いものでもう二十年になります。これまで
に、ほんのひとときとして、あなたの優しく温
かく大きく、そして強い愛を感じなかったこと
はありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきま
した。人を愛すること、自分を戒めること、人
に愛されること......。
この二十年で、私の翼には立派な羽根がそ
ろってゆきました。そして今、私はこの翼で
大空へ翔(と)び立とうとしています。
誰(だれ)よりも高く、強く自在に飛べるこの
翼で。私は精一杯やってみるつもりです。
あなたの、そしてみんなの希望と期待を無
にしないためにも、力の続く限り翔び続け
ます。こんな私ですが、これからもしっかり
見守っていてください。
また逢える日を心待ちにしております。
最後に、あなたを母にしてくださった神様に
感謝の意をこめて。「翼のはえた”うし”より」
という歌で、感動の歌でした。
早速CDを買い、家で再び聴きました。
しばらくしてそのことを貴光さんのお母様が
知ることとなり、その後交流がはじまり、
まだ出会いから一年とちょっとしか経ってい
ないにも関わらず、奥野さんは貴光さんの
お母様のことを “広島のおかあちゃん” と
呼ぶぐらい深い心のつながりを持たれるよ
うになったそうです。この集いにもお母様が
来られていました。
純粋で素朴な奥野さんの人柄、語り、歌、
数々のオリジナルの曲を歌っていただき、
伝わってくるメッセージはどれもすばらしい
ものでした。
日本に生んでくれた母、胸を張って日本は
いい国だと、子供たちや外国人の友達に
いえるよう、これから何ができるかわから
ないが、これからも音楽の旅を続けていこ
うと結ばれました。