秋祭りのメイン「曳船」の魅力 | ウオーキングの町 坂町

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瀬戸内の海と山の自然豊かで人情味のある坂町!ネットワークされ、バラエティに富んだウオーキング道を活用し、「ウオーキング日本一のまちを目指して」歩き出します!!『悠々健康ウオーキングのまち』宣言をしました。

こんばんは 「ようよう坂町」


 神社境内曳船にのりポーズする孫。

小学校5年になると小船を担ぐことが

できます。といってもまだ随分先のこと

ですが・・・

横浜港を出発した「曳船」は、担ぎ手、

世話人、役員を含め総勢180人の集団

となり、後ろには参拝者を引き連れ、

「曳船」とともに、祭りが始まり、「曳船」

が帰るとともに、祭りが終わるといわれ

ています。

森浜地区の馬場で目録の交換、小休憩

の後、道中唄(宮島いんげ)で小船を従え

ての出船です。その後、森浜の屋台が続

きます。

神社に続く参道は現在、マンションや

新興住宅地となっていますが、以前は

田んぼで、左右で田んぼに落とし合い

をしており、泥だらけになっていました。

神社前の御手洗い(お手洗いでなく、

みたらいです)というところで一休

し、他の神輿(ちょうさい)を待ちます。

小船を従えて、いよいよ神社鳥居を

ぐります。


御手洗いから鳥居までは、恒例とな

って坂町長が担がれます。

石段を上りますが、危険防止のため、

曳船からのロープを神社境内の石

結び付け引っ張ります。こ役が

森浜地区の人たちです。

石段は滑りやすくて不安定なので、担

ぎにくく、ややもすれば肩から外れそう

になります。


肩から落ちてしまうと危険なので、懸命

に持ちこたえています。

親船はいったん境内に上がると休憩

を取ります。その間に、小船は交代し

ながら、一気に上がります。

境内で神主のお祓いを受けます。

隣にある新宮さんにもお参りします。

そして、境内で静かな海を行くゆっくり

した揺れ、荒海を行く荒々しいもみ方を

上下に前進しながら行います。ここら辺

がクライマックスで、小船とはいえ、カメ

ララッシュや拍手喝采となる感動のシ

ンです。

大人でも難しいほら貝も子供達が見

に吹きます。小学校の運動会でも吹い

ていますが、行く途中で指導していただ

いたせいか、様になっています。

小船は境内での一連の行事のあと、

休む暇もなく、石段を降りていきます。

いくら交代しているとはいえ、ここが疲

がピークで踏ん張りどころです。そ

の真剣な姿にまたもやカメララッシュに

拍手喝采です。下の御手洗で最後の

休憩を取ります。

子供達が下りると、今度は大船です。

神殿に戦勝報告する音頭(かぶと

ん)で出船です。

音頭の時は、ゆっくりした音頭にあわ

せて、静かな海を航行するように、ゆ

ったりと左右に揺れながら進んでいき

ます。華麗なる姿です。


いよいよ、神殿に戦勝報告をし、神主

よりお祓いを受けます。その間、船首

を神殿に突っ込み、艫(うしろだけ)を

左右にゆっくりと振ります。



戦勝報告が終わり、音頭が終わると

ほら貝の音で、静かな優雅な動きは、

一転スピーディになり、荒海を突き進む

曳船の姿を表現します。荒波を前から

受ける時は、船首を上げてほとんど

動きません。


高波の上にのった時は、腕を伸ばしゆ

っくりと前へ進みます。

荒波を後ろから受ける時は、船尾を

上げ、船首を地面にすりながら、一気

に前進します。下手をするとけがをしま

す。動きが早いので、船頭などの役員

は特に気を使います。こういった動きを

三回(今年は四回)ほど行い、荒海をの

り越えます。


最後の関門は、石段です。危険防止の

ため、ロープでくくってはいますが、疲

れもピークとなり、肩は痛く、肩が外れ

そうになります。ここで一旦どちらかの

肩が落ちますと、手や足を石段との間に

挟まれ、けがをすることになります。

緊張が走る瞬間です。


石段を下りるとロープがはずされ、少

しはほっとします。


そして一気に休憩場所の御手洗に向

かいます。

御手洗で休憩した後、横浜港に向けて

ご帰還です。曳船を先頭に、屋台、ちょ

うさい、そして獅子舞などの寄進物が

一直線に並び壮観な風景です。

最後は森浜の屋台を、曳船の担ぎ手

が手伝い、引っ張りあげます。

新興住宅地で人口増が著しい平成ヶ

浜地区を帰っていく曳船です。

出港場所に無事帰ってきました。

飾りを片付け、船を納めた後、全員

130名で打上げです。(子供は除く

大人のみ)、場所は宝海寺です。


宴もたけなわの時、自民党元幹事長

の中川秀直先生があいさつに来られ

ました。

1749年が起源といわれる曳船は、幾

多の年月を経て、今日に至っています。

現在は(財)横浜戸主会が所有し、事業

の継承をしている曳船ですが、後継者を

育成し、地域ぐるみで、地域の文化と伝

統を今後とも継承し続けていくことが大

切でしょう。