こんばんは 「ようよう坂町」
金曜日の朝はお馴染み「積極人間
の集い」です。今日は第1,261回。
ゲストは文筆家の前川たえこ様。
テーマは「母の愛」着物姿の美しい
女性ですが、酸素吸入し、酸素ボン
ベを携えての登場です。
30個つくってきました。どうぞ食べて
13年間の闘病生活で、60歳まで
生きられないといわれた自分が今
こうやって、酸素ボンベの力を借り
ながらでも立つことができるのは
母の支えがあったからこそ。
大腸がんで後3年~5年の命といわ
れ、その後アトピー性皮膚炎、血小
板損傷症、肝硬変、脾臓と胆のう摘
出と3度生死をさ迷ったとのこと。
治療が余りにもきついので、もうこの
まま死にたいと先生にお願いしたら、
お母さんが土下座をし、「娘を助けて
欲しい」とお願いされたとの話し聞き、
「母の愛」に答えようと思いました。
父が早くなくなったため、母1人で
マツダ本社近くで時計店を営み、莫
大な手術にかかるお金も面倒を見
てもらいました。
ある日、病室の寝たきりの状態で、
NHKラジオ深夜便『大やけどで学
んだ人間学』で、大島修治さんの
大やけどされ生死のふちから社会
復帰された人間の可能性のお話を
聴かれ、勇気を奮いたたせられました。
「生きていたければ安静にしていな
さい」との医師の言葉。でも前川さ
んは「死んでもいい、起き上がりた
い」と、携帯酸素器を持てるように
なりたいと、ベッドの上でそろりそろ
り、こっそりと筋力トレーニングを始
められました。
最初は500g袋を持ち上げるのがや
っとでしたが、1㎏から2㎏、3㎏へと
パワーアップ。こんなことやってて、
役立つのだろうか?
ムダなんじゃないだろうか?
くじけそうになる時、大島さんの録音
テープをくり返し聴かれたそうです。
3ヶ月後、念願の携帯5キロ酸素器
を片手に、ふらつきながらも、立ち
上がられました。
深夜、みなが寝静まった病院の廊
下を、携帯酸素器を引っ張って息切
れしながら歩いていると、その医師と
たまたま鉢合わせされ、「絶対安静」
をきつくいわれているので、これは叱
られる!と覚悟されたそうです。
ところが医師は「よく頑張ったな!」と
あたたかいことばを前川さんにかけて
くれたそうです。
3年後、大島さんのご講演を聴くため
に、ひとりで携帯酸素器を車に積み、
福山市まで運転することができたそう
です。
昨年から広島仏教学院の学生となり、
感謝の生活を送らせていただいており、
今年には得度したい。余命をどう使え
ばいいのか。夢は以前療養で行った
九州阿蘇に温泉療養施設をつくりたい。
そして母と一緒に移住して暮らしたい
とのすばらしい夢でした。
最後に「致知6月号」に投稿され掲載
された随想の「絶望に感謝」の随想を
朗読師の大谷さんに朗読していただ
きました。感動で涙する人もありました。
最後にお母さんも出席されていらっ
しゃるということで、紹介されました。
前川時計店主ということですが、
いつも電車で広島へ行く時、向洋
駅を過ぎてすぐ見える店ということが
分かりました。
ゲストスピーチの後は、会員の感想
などのスピーチです。
今日の出席者は37名でしたが、
全ての人が感動したとのスピーチを
されました。これほどの死の淵から
立ち上がることができたのは、もち
ろんご本人のご意思と実行力がある
のでしょうが、その裏に母の愛が強く
あったからというお話。
今簡単にわが子を殺してしまう母が
多い社会となっていますが、母の愛
はどこへ行ったのでしょうか。考えさ
せられました。